これまで日本球界で数々の武勇伝を残した暴れん坊助っ人の中でも、ふだんは温厚で真面目なのに、一度切れると手がつけられない“恐怖の二重人格者”として異彩を放っているのが、1993年から96年まで横浜でプレーしたグレン・ブラッグスだ。
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最初の事件が起きたのは93年6月27日の中日戦。1回無死一、三塁で打席に立ったブラッグスは、津野広志から2球続けて内角の際どいコースを攻められたあと、左足に死球を受けると、悪鬼のような形相でマウンドに突進していった。
怒り狂う190センチ、100キロの大男を取り押さえようと、横浜・近藤昭仁、中日・高木守道両監督をはじめ、コーチ、選手が一斉に飛び出し、上を下への大騒ぎに。
「彼とは友達だし、ケガをさせたくなかった」という185センチ、86キロのパウエルが抱きかかえるようにしてブラッグスの動きを封じたところで、鈴木徹球審が退場を宣告。両軍ナインもベンチに戻り、騒ぎが収まったように見えたが、間一髪で難を逃れた津野がマウンドに戻った直後、ブラッグスが再びグラウンドに飛び出し、襲いかかろうとしたため、まさかの第2ラウンド勃発となった。
事件の伏線は、ブラッグスが前日の試合の7回に今野隆裕から左足に死球を受けたことだった。その後、谷繁元信も古池拓一から背中に死球を受けると、興奮したブラッグスがベンチを飛び出し、本塁付近で両軍ナインのもみ合いに発展していた。2試合連続の死球禍で、「故意に狙った」と思い込んだようだ。
ちなみにブラッグスは、6月2日の巨人戦から18試合連続安打を継続中。退場により記録もストップしたと報じられたが、第1打席の死球直後の退場だったことから、野球規則10.23(b)により、幸運にもセーフ。その後、外国人新の「29」まで記録を伸ばしている。
衝撃の事件から1年後、ブラッグスは再び乱闘の主役となる。94年6月22日、相手は因縁の中日だった。
3対2とリードの8回無死二塁のチャンスで登場したブラッグスに対し、カウント1-1から与田剛(現中日監督)の内角直球が左手甲をかすめる。久保田治球審によれば、「バッターボックスのライン上辺りの球」で、けっして危険球ではなかった。