『少女A』の詞を書いた時点では、明菜ちゃんのことをあまりよく知らなかったんですが、あまりにも曲と声が合っていてしびれました。
――『少女A』は明菜さんのセカンドシングルとしてリリースされ、大ヒットしました。
売野 『少女A』はとにかく運が強い曲だと思っています。普通、一度ボツになった詞が採用されることはありません(笑)。とても運命的なものを感じるんですよね。
そして実際に、『少女A』は多くの人の運命を変えました。『少女A』がなかったら、明菜ちゃんが80年代を代表するスターになっていたかどうかわかりませんし、僕と芹澤さんの人生も、全く違うものになっていたはずです。
『少女A』のヒットがなかったら、芹澤さんと組んで、チェッカーズの『涙のリクエスト』や『星屑のステージ』を作ることもなかったでしょう。僕は、中森明菜とチェッカーズは、20世紀の日本の歌謡史を語るうえで欠かせない存在だと思っていますが、その二組が大きく羽ばたくきっかけを作ったのは、やはり『少女A』なんですよね。
――その後、『1/2の神話』『禁区』『十戒(1984)』といったツッパリ少女路線のシングル曲の詞を次々に手がけられています。
売野 当時、明菜ちゃんは、来生えつこ・来生たかお姉弟による繊細な少女路線のバラード曲と、僕が詞を手がけたツッパリ少女路線のロック調の曲を交互にリリースしていました。そこには、誰もが持っている繊細さと不良性、両面を見せていきたいという島田さんの考えがあったんだろうと思います。
僕がツッパリ少女路線の詞で書きたかったのは、不良性の持つパワーと魅力です。社会からの抑圧に負けず、きっちり筋を通し、守るべきものは守る。妥協したりうまく立ち回ろうと考えたりせず、自分が不誠実だと思うことはしない。
そのようなヒロイン像が、明菜ちゃんの中にある純粋さやまっすぐさともシンクロして、すごくいい歌になったし、こうした生き方に憧れる人たちの共感を集めたのではないかと思います。