20代半ばまで「“女優になるのが夢”だったかどうかも怪しい」と明かす篠原ゆき子さん。初の主演映画が話題となっている篠原さんだが、邦画を観たことや積極的に舞台鑑賞をしたことが転機になったという。
【前編/個性派女優・篠原ゆき子の原点「家族内で必要な役を演じていた」】より続く
* * *
自分の好きな系統に出会うことで、「演出家や監督の作風によっては、自分のキャラクターもハマるんじゃないか」という、女優としての自信も芽生えてきた。
「でも、20代の頃はずっと、生活費はバイトで稼いでました。とにかくバイトはたくさんやりましたね(笑)。ただ、桐蔭の同級生はほとんどがちゃんとしたお勤めをしているし、芸能界にいるとわかると、『最近、何に出てるの?』としか聞かれないので、仕事がないときは恥ずかしかったです。みんなが就職して、忙しそうにしている中、バイトしている自分が」
ポツドールの舞台に出演するようになると、それを見た大根仁監督が、ドラマ「モテキ」に呼んでくれた。好きな系統の作品なら、その作り手と演じ手である自分が、嘘偽りなく、響き合えるような予感もした。ようやくアルバイト生活から抜け出し、芝居一本で生活できるようになったのは、30歳を過ぎた頃だった。
そこからさらに、篠原さんを俳優として飛躍させたのが、ドラマ「コウノドリ」の妊婦役だった。
「せっかく子供を授かったのに死産してしまうという、演じていてとてもつらい役でした。でも、放送されたあとに、同じ経験をした女性から、『リアルに演じてくれて、ありがとうございました』といったコメントがたくさんブログに寄せられたんです。ドラマの演出もすごくリアリティーを追求していたので、『嘘っぽい』『こんなんじゃない』と言われたらどうしよう、傷つけてしまったらどうしようと、それが怖かった分、ちゃんとしたものをお届けできたことが嬉しかったんです」
真っ直ぐに、ありのままの人間を演じよう。求められたら、自分の持っている全てを出し切ろう。それが見てくださった誰かの感情にプラスに作用するなら、演じるという仕事に真摯に向き合おう。そう覚悟を決めた。