●その後のお宮創設

 太宰府天満宮は、道真の霊廟として建立されたお宮である。道真の亡骸を運んでいた牛車が、この地で動かなくなったため、ここに留まりたいという道真の意思であろうとの配慮から生まれたものだ。時平の死去に伴い、朝廷から社殿が奉納されたほか、度重なる訃報や災害の度に、太宰府天満宮への奉納が行われていたが、京にも道真を祀る神社・北野天満宮が創建された。今では、全国に約一万社あるとされる天神さまの本社・本宮として両天満宮は知られている。

●御利益は冤罪を晴らすこと

 死後100年ほどが過ぎた頃の一条天皇の時代、道真は左大臣に、そして太政大臣へと昇進、ますます天神さまとしての信仰が進んでいった。このような経緯から、この頃には怨霊鎮魂としての信仰よりも、「冤罪を晴らす神」「正直の神」、あるいは「怨敵調伏」「戦勝祈願」といった側面から信仰されていったようだ。

 現在は、穏やかに若者たちからの合格祈願を受ける神さまも、古くは怒りを鎮めてもらうために始まった信仰だったのである。1000年も経てば、神さまの扱いも変わるもの、怨霊よりも今ではむしろ子どもたちの守り神に近いかもしれない。

 菅原道真の誕生日は6月25日で、命日も2月25日(ともに旧暦)。このことから25日は天神さまの日とされている。清涼殿に雷が落ちたのが死後27年目の6月26日となれば、科学の発達した現代でも「少しは恨みが関係してるかも…」と思ってしまう日付の偶然である。

 そして、人の噂は75日で消えないという、歴史的な事象でもあるかもしれない。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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