「電車に乗っている時なんかにパニックが起こると、みんなが私たちを見る。その視線におびえながら、私は思春期を過ごしました。そのことは今も自分の中に残っていますし、母も私もずっと緊張の中にいました」
庄司が高校に入学した時に、妹の介護施設入居が決まり、緊張は一時緩んだが、他方で父のアルコール依存が進んでいた。忙し過ぎた庄司は、それに気付くこともできなかった。父の余命が1週間と告げられた時でも仕事は休めず、最期を看取(みと)ることはできなかった。その現実に心が折れ、川手への恩義もそこそこに、3年半でフロリレージュを飛び出した。
先が見えないまま、シティーホテルのレストランでホール担当のアルバイトをする中、一通のメールが庄司の進む道を開いていく。
「なっちゃんのお菓子が忘れられない。私の結婚式で、ウェディングケーキを作ってもらえませんか」
メールの送り主は、フリーエディターの山本久美。庄司とはフロリレージュ時代に、女性誌の人気シェフレシピの連載記事を通して親しくなり、街場の名店を一緒に食べ歩いてもいた。
■美しいフルーツのケーキが 話題になり予約殺到
「撮影用のお菓子を現場で作っていたのがなっちゃん。それがとてもおいしかった。おいしいだけではなく、見せ方までを納得するまで作り込む。彼女自身、スター性を秘めていて、お父さんのことで弱って、現場を離れてしまうのは、あまりにもったいなかった」(山本)
ウェディングケーキは大好評だった。「自分が作ったもので人が喜ぶ」という原点を目の当たりにして、料理への闘志が再び湧きあがってきた。しかし、不義理をした川手の店にはもう戻れない。独立するしかない、と心を決めた。23歳の時だ。
通常、レストランを開店するには、小規模でも4千万円の初期資金が必要といわれている。だが、若く、女性である庄司に、そんな資金を貸してくれるところはどこもない。母からの援助を元手に、日本政策金融公庫でようやく1千万円の融資を得て、代々木公園の裏手にあるマンションの一室を借り、たった一人で店づくりを始めた。
(文中敬称略)
(文・清野由美)
※記事の続きはAERA 2022年12月12日号でご覧いただけます。