素の自分と、仕事モードの「エテ子」の二つの人格を使い分けているという。「今は、ほぼ『エテ子』で占められています。公私の『私』の時間ができても、すべて店のことに使いたい。店と関係ないことをしたくない」(撮影/岡田晃奈)
素の自分と、仕事モードの「エテ子」の二つの人格を使い分けているという。「今は、ほぼ『エテ子』で占められています。公私の『私』の時間ができても、すべて店のことに使いたい。店と関係ないことをしたくない」(撮影/岡田晃奈)

■出勤途中も栗の皮むき 満員電車で束の間の睡眠

 燃える野心の原点は、中学生の時に家庭科の授業で作ったシュークリームだった。オーブンの中でシュー生地が膨れる様子に感動し、家で作ったものを友人に配ったら、みなから「おいしい」と喜ばれた。

 それをきっかけに、食物調理科がある駒場学園高校に進学。菓子作りの腕を磨くとともに、料理の綿密さを身につけられるフレンチのシェフを目指すことにした。同校は「フロリレージュ」(東京・青山)の川手寛康らモダンフレンチの旗手が輩出していた。庄司を教えた副校長の戸塚哲夫は、庄司の中に「個性的で、負けん気が強くて、貪欲」というシェフの条件を見る一方で、気持ちは少し複雑だった。

「シェフになるなら雇われでなく、独立を目指せ、と生徒たちを鼓舞していましたが、レストランは過酷な割に儲(もう)けにならない世界。効率を考えると質が落ちるし、質が低ければ評価もされない。大半の女子生徒が選ぶ栄養士の道を勧めるべきか、と迷っていました」

 高校時代の後半は、都内のブライダルレストランで、就職を前提にしたインターンを務めた。それが出発点となるはずだったが、研修期間中に経営が破綻し、調理人は全員解雇に。何が起こったかも分からないまま、「1時間以内に退去してください」という非情な通告を聞いた。

 その後、戸塚のつてで代官山の「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」(現レクテ)を経て、フロリレージュに入店。パティシエとシェフの右腕であるスーシェフを務めることになる。

 現場は聞きしにまさる厳しさだった。前夜の仕事が深夜を回っても、朝は7時台に店に入り、ガラス磨きや掃除などの立ち上げ準備と、仕込みを行う。デザート補助だった当初は、栗の皮むきのような単純作業が割り当てられる。時間が足りなくて、出勤途中の信号待ちでも、手を休めずに皮むきを続けていた。

「1日14時間以上働いて、それが週6日。いつもヘトヘトで、満員電車で通勤する朝は、人に挟まれて、立ったまま、ちょっとだけ眠れる。それがうれしかった」

 人が次々と辞める中、庄司が続けられたのには、料理への理想とともに、もう一つの理由があった。

「妹と暮らしていた時の方がずっと大変だった。その経験があったからですね」

 2歳年下の妹には重度の知的障害があり、少しでも不安なことが起きると、パニックに陥り暴れ出すので、24時間の見守りが必要だった。

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