緊急事態宣言下で東京オリンピックが開幕する。感染拡大防止と五輪開催という矛盾。私たちはこの五輪をどう捉え、今後にどう生かせばいいのだろうか。AERA 2021年7月26日号で、フリーライターの武田砂鉄さんと、フォトジャーナリストの安田菜津紀の二人が語り合った。
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武田:空気は確実に変わっています。夜のテレビニュースなんて顕著ですね。「果たしてこのような感染状況でオリンピックができるんでしょうか」と言いながらニュースを続けた後、「大谷翔平選手がホームランです」と大谷選手の活躍を挟み、その後にオリンピック関連のスポーツニュースに続ける。6:1:3くらいの編成です。
安田:大谷選手が、クッション代わりにされているということですね(笑)。
武田:オリンピック本番になったら、この順番が、オリンピックすごかった→大谷ホームラン→コロナ心配です、という流れになるんでしょうか。メディアの役割が今こそ問われています。メディアが「もう反対しても始まっちゃうから無理だよね感」を出しているというのはいただけません。
安田:順番を小手先で変えながらも、オリンピックのメダルの数と重症者の数を報道するというのは、ある種グロテスクな世界だと思いますが、そのことにメディアが加担してしまうという問題があるんですよね。
コロナ禍前から私はオリンピックには否定的だったのですが、大きな理由の一つとして、足元で外国籍の人たちを虐待している国で本当にオリンピックやるんですかということです。3月6日にスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋出入国在留管理局で亡くなられましたが、まったく真相解明ができていません。これまでにも2007年から17人が入管の収容施設で亡くなっているんです。うち5人は自殺です。それなのに、一回もまっとうな検証ができていない。
国の施設で人が亡くなるということは国の責任なわけです。国の責任で亡くなった方のご遺族が5月1日に来られた時は、自主隔離ですが2週間待機しました。一日でもはやくご家族としてはウィシュマさんのご遺体に会いたいのに。一方、今回オリンピックの選手は事実上2週間の待機が免除になりました。この理不尽な差異というのはなんだろうか。これだけ人権侵害をしておきながら、オリンピックのためにどうぞ関係者の方々来てください、難民選手団も受け入れますって、華々しいところだけは多様性を掲げている。すごい矛盾だと思うんです。挙げていけばきりがないですが、そのグロテスクさというものにメディアも敏感にならなければいけないと思います。