競技人生最後の試合を終えた三宅宏実(35)は笑顔だった。7月24日に競技が本格的に始まった東京五輪の重量挙げ女子49キロ級。後半のジャークを3回とも失敗して記録なしに終わったが、試合後は「完全燃焼ですね」と振り返った。
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夏季大会では柔道の谷亮子さん(45)に並ぶ日本女子最多の5大会連続出場。2012年ロンドン五輪の銀メダル、16年リオデジャネイロ五輪の銅メダルに続く、3大会連続のメダルがかかる舞台だった。
自身の持つ日本記録(48キロ級)はロンドン五輪で記録したトータル197キロ。大会2週間前の時点で、今回目標に掲げた190キロには5~10キロほど及んでいなかったという。床に置いたバーベルを頭上まで一気に持ち上げる「スナッチ」の申告重量はグループAの8選手の中で最も低い74キロで、最初に登場した。硬い表情でプラットフォームに上がり、バーベルを握る。一気に頭上に挙げ、ゆっくりと立ち上がった。
だが、2回目の76キロは尻もちをついて失敗。2分間をあけて連続試技となったが、挙げることはできなかった。
鎖骨の位置までいったんバーベルを上げ、次の動作で一気に頭上に差す「ジャーク」では99キロからスタートした。しかし、3回とも失敗した。
試合後、取材エリアに現れた三宅は、すがすがしい表情をみせてこう言った。
「気持ちの弱さが出ちゃった。最後にゼロは初めて。こういう終わりになってふがいない。つらいときもあれば悪いときも多かったんですけど、(父・義行さんから)どんなときでも励ましてもらえた。最後はメダルをかけてあげたかったなというのはあるんですけど、第二の人生のほうが長いので、次の人生も同じぐらい充実した人生にしたい」
三宅の競技をそばで見守ってきた、1968年メキシコ五輪重量挙げ銅メダリストの義行さんはこうねぎらった。
「1年延びたことはかなりきつかったと思います。みなさんに背中を押してもらえて5度目(の五輪)にトライできたことが十分。トータルを出せず申し訳ない。21年間けがと戦いながらできたのは今後の人生でプラスになる。トータル(の記録)が残せなかったことは今後の人生の財産にしてほしい。6本成功して笑顔で終わろうといっていたけど、1回成功して笑顔で追われたからいいのかなと思います」