下重暁子・作家
下重暁子・作家
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※写真はイメージです (GettyImages)
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、照ノ富士について。

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 相撲ファンにとっては、この上ない一番であった。全勝同士で千秋楽を迎えた取組は、白鵬の優勝に終わったが、大方の予想も私も照ノ富士勝利と思っていた。一瞬の冷静さを欠いた隙に、勝つことだけを考えた白鵬の気迫に負けた。

 しかし場所全体を見て、全く危な気なく自分の相撲をとりきったのは照ノ富士であった。立派な横綱相撲であった。私は時間の許す限り、自宅にもどり照ノ富士を応援した。

 大器といわれ、横綱目前の大関から序二段という月給も出ない最下位近くまで落ちたその無念さは、いかばかりか。膝を痛め、糖尿病などの疾患もかかえて這い上がった心と力に脱帽する。

 引退も考えながら、どん底で意地と虚飾は捨てて、身一つに賭けて関脇から最短で一気に横綱にかけ上った。素晴らしい。

 本人も言うようにかつては酒浸り、やんちゃで荒い気性だったが別人のように、自分の内側を見つめる相撲に変わった。二十三歳の大関当時、両国のウランバートルというモンゴルレストランで見かけたときは、場所中なのに仲間に囲まれて飲んでいた。

 地獄を見たことが、彼の心も体も変えた。特に心・技・体の「心」がそなわったことが大きい。

 横綱に欠かせないものは、品位だという。最近はあまり品ということが言われなくなったが、人間を最終的に決めるのは、品である。

 横綱昇進の口上にもそれが入っていた。仁王様のような厳しい顔付きと大きな体にこもった横綱にふさわしい品は、序二段から復活した照ノ富士の生き方が示してくれている。

 それをやり切ることのできる大器であり、レストランで見かけた時に心惹かれた若者が、その成長ぶりを見事に示してくれたことに、私の見る目を信じたくなる。

 三十年以上前になるだろうが、まだモンゴルは遠い国で、ソビエトまわりで三日かかって辿り着いた。社会主義国で、スターリンの銅像が建っていた。

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