今、この雑誌で、一番面白い頁「コンセント抜いたか」を書いている嵐山光三郎さんは、当代で一、二と数えられる名随筆家の一人です。

 昔々、私のまだ女の匂いの残っていた五十前の頃、彼は、若々しい編集者として私の前にあらわれました。現在とあまりちがわない印象のしゃれた外見の人で、いつも年輩には勿体ない上等の背広を、さり気なく身に着けて、見れば見るほど、全身おしゃれをしている(おおキザ)若者でした。

 ところが、ホントの歳がわからないほど、老けて見えるところもあり、その頃から、あらゆる方面に、知識深い人でした。

 自分は余り喋らないで、相手に存分に喋らせる妙技を備えている優秀な編集者でした。

 私は五十歳前で、仕事を生涯最も多くしていた時でした。人には云えないけれど、もう疲れきって、この世の生活がいやになっていました。だからといって自殺するのもみっともなく、迷いあぐねた末、「出家」ということを思いつき、それを実行してしまいました。たいそう研究して、実行するまで、ほとんど気づかれず、出家を実行した直後、人々に届くような挨拶状を出したものです。今から思えば、何もかも、ずいぶん気取った所行でした。

 頭を丸めてからも、仕事ばかりつづけました。嵐山さんと一番仕事をしたように思います。頭の先から足先まで、僧服の私と、電車に乗って、大阪から高野山へ行ったのを覚えています。嵐山さんは、そんな私の姿に目をまるめた乗り合いの人々の視線に恥ずかしそうにうつむきこんでいたのを、ありありと覚えています。

 不思議な人で、その頃から、大方五十年も過ぎた今も、あんまり風貌の変わらない人です。誌面だけで、もう何十年も、面と向かったことのないまま、私は、あの世に旅立つのでしょうか?

 寂庵の庭で蝉が大きな声で鳴くようになりましたが、私には一切聞こえません。暑い暑いとまなほは言いますが、私は特にそう感じません。百歳になると、あらゆることに鈍感になるのでしょうか?

 ヨコオさん、くれぐれもお大事にね。

週刊朝日  2021年8月6日号

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