僕は生まれながらの面倒臭がり屋です。その性格にぴったりの職業を選んだように思います。ねばならないという概念が僕にはないのです。どっちでもいいという優柔不断の思想家です。白黒決めるのが大嫌いです。何かを探すために遠くへ出掛けたりはしません。手の届く範囲のもので大抵間に合わせます。手に触れるもの全てがアイデアになります。探すのではなく、発見するのです。探検家ではなく考古学者です。アイデアは、そこにあるものを見つけるのです。小説家みたいにわざわざ取材などしません。ゴッホみたいに病院の窓から見える風景を描くだけです。アングルやトリミングを考える必要がないのです。窓わくがすでに構図を決めています。ゴッホはそれを写すだけです。真理なんて遠くにあるように思いがちでしょうが、画家にとっての真理は目の前にあるのです。メスと同じように画家のテリトリイは狭いのです。だから僕にとってはメス猫は生活必需品です。

■瀬戸内寂聴「百歳になると鈍感になるのでしょうか?」

 ヨコオさん

 とうとう大展覧会の支度の疲れが出て、倒れこんだ様子ですね。お気の毒だけど、今度はちゃんと原因があったので、かえって安心です。あれだけの凄い展覧会を開くには、とてつもない体力と、神経を使ったことだろうと想像します。ちょっと、この際、静養なさることが何よりです。

 ヨコオさんのことだから、静養中にまた、新しいとんでもない思想や、夢が、響き出て、新しい絵のアイディアが、浮かぶことでしょう。

 それにしても、ヨコオさんの入院は、久しぶりのような気がします。昔は、もっともっと、年中、入院してらしたような気がします。

 でも、ヨコオさんは、入院中も病室で絵を描くのだから、完全な休息にはなりませんね。それとも、病室で描く絵は、作品ではなく、「玩具」なのですか?

 百歳になるまでには、編集者も数えきれないほど、付き合ってきましたが、実に様々な気質の人々でした。

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