小松正茂(こまつ・まさしげ)/1972年生まれ。99年、ソニー(現ソニーグループ)入社。コーポレートプロジェクトを統括、スポーツエンタテインメントビジネスに取り組む(撮影/写真映像部・東川哲也)

 プロジェクトは、なかなかOKが出なかった。「エンジニアはスケジュール的にむずかしいといっているぞ」と、担当のオーディオ部長は当初、懐疑的だった。

 一方、面倒が起きると「いまは目立つな。しばらく隠れていろ」と、助言する上司もいた。

■「説得工学」の実践者

 積極果敢なチャレンジをおもしろがって応援するのは、ソニーの風土だ。

 小松は、“遊軍”といわれていた。「お前みたいなチョロチョロするヤツも大事なんだよな」と、上司からいわれた。

 ソニーの創業者の一人、井深大は、「説得工学」を提唱した。彼の造語である。「自分がいいものに気がついたと思ったら、納得するまでやって、上司も納得させなければいけない」というのだ。プロジェクトも同じだ。小松は、「説得工学」の優れた実践者である。

 ソニーとイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティの実証実験は、1年以上にわたって続いている。「新規事業なので、いろいろとトライアンドエラーもありまして」と、小松はいう。

 ウェブ上の3次元の仮想空間にマンチェスター・シティのホームグラウンド「エティハド・スタジアム」を構築し、そこに世界中のファンを集め、ファンと選手、ファン同士のインタラクティブな交流を図る。それが、構想だ。

「最初は、スマホのアプリから始めるつもりです」

 と、小松はいう。

 仮想空間といえば、メタバースだ。小松は、こう語る。

「われわれは社内では、メタバースという言葉はあまり使っていません。目的はあくまでファン・コミュニティのコミュニケーション・エンゲージメントです。メタバースのためのメタバースをするつもりはない」

 というのは、エンタテインメントの楽しみは、人と人とがつながり、体験を共有することだ。リアルのイベントに参加しなくても、バーチャルによってそれが可能になる。

 人と人とがつながり、共有体験ができる。それを可能にするのは、ソニーのセンシング技術や映像技術だ。

 さらに、試合以外のコンテンツを用意できれば、スポーツの楽しみ方を拡大できる。仮想空間上でファンやクラブ、選手との距離も短縮できる。

 ふだん入れない場所を見学するとか、屋根の上から試合を観戦することも技術的には可能だ。ゴールキーパーの真横でプレーを体験することもできるという。

 スポーツの新たな可能性への挑戦である。技術を持つソニーだからこそ、実現できる世界だ。ソニーは、スポーツエンタテインメントビジネスの創出を目指している。

 仮想空間上のスタジアム構想は、まだ始まったばかりだ。

 小松は、大きな石と石の間を埋め合わせるようにして両者をつなぎ、プロジェクトを成功に導こうとしている。(文中敬称略)(ジャーナリスト・片山修)

AERA 2022年12月5日号より抜粋

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