最初に配属されたのは、共通ソフトウェアプラットフォームをデザインする部署だった。当時は、デジタルカメラや音楽プレーヤーをパソコン(PC)に接続し、写真や音楽を転送するのが主流だった。懐かしい時代である。それらのデバイスをPCに接続した際、PC上で動くソフトウェアが必要になる。ソフトウェアは各事業部で製品ごとに必要になるが、それらの開発を手掛けるのが共通ソフトウェアプラットフォームだった。
共通ソフトウェアプラットフォームの開発は、デジタル化、ネットワーク化、さらにスマホの普及という時代の趨勢の中で、もっとも激しい変化の波に襲われた分野の一つだ。
もともとPCが中心だったカメラやオーディオなどのソニー製品の利用環境は、その後、インターネットと切っても切れない関係となり、ウェブ上のインターフェースの開発も求められるようになった。
スマートフォンの登場によってスマホアプリも必要になり、クラウドとの連携が当たり前になる中で、その対応も求められた。
「スマホやクラウドへの対応は、『必要なこと』という意識があるし、ユーザーのために『そうあるべき』と感じていたので、前向きに変化にチャレンジするムードでしたね」
と、清田は振り返る。基本的に、ソニーの現場はネアカなのである。
■遠慮はまったくない
入社4年目の14年、チャンスが訪れた。所属部署が独自に、3カ月間、エンジニアがアメリカなどに「短期研修」できるプログラムを始めた。「HCD」の分野において、日本で学べることはわずかだった。一方、米国は最先端だ。清田はこれに手を挙げた。自分の成長を手助けしてくれるチャンスは逃さない。女性だからという遠慮はまったくない。ソニーでは当たり前のことだ。
「アメリカで一緒に仕事をさせてもらう部署には、『HCD』を専門に学んで修士を卒業したような、専門的な知識を持つ方がいると知っていました。だから、ぜひいきたかったんです」