金子氏は、今の日本に足りないものを得るため、和洋のジャンルにとらわれず、世界で活躍する日本のパフォーマーや舞台芸術家を招いて学ぶことが効果的なのではないかと考えている。また「コロナの影響があるから、難しいかもしれないけれども」と前置きした上で、海外に目を向けることの重要性も説いた。金子氏は、1997年にシンクロ委員長に就任した際、古橋廣之進日本水泳連盟会長(当時)の快諾を得て、日本選手権を国際招待試合であるジャパンオープンと兼ねるかたちで開催する改革を行っている。それは、島国であるからこそ、日本の選手・関係者が国際的な感覚を持つことが大切だと信じていたからだ。

「他国の選手たちと合同合宿を行えば、みんながどんな発想を持っているのか、日本の選手には何が足りないのかを知ることができます。『やらせてみたら、結構日本の選手もできるじゃない』ということもあると思うんですね」

 同時に金子氏は、国際審判が日本に下す評価を常に意識することの必要性も指摘している。

 日本の強さを支えてきた技術力を取り戻し、“アーティスティックスイミング”という競技名にふさわしい芸術性を身につけるのは簡単な道程ではないだろう。しかし、東京五輪に向けて気の遠くなるような鍛錬を積んできた日本代表だからこそ、正しい方向に進めば世界の表彰台に返り咲くことができるはずだ。(文・沢田聡子)

●沢田聡子/1972年、埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」