なかでも忘れられないのは、17年に派遣されたシリアだ。過激派組織イスラム国(IS)から解放されたばかりの都市ラッカに、救急診療所を立ち上げるプロジェクトで参加した。廃虚となった街の中で、使えそうな施設を探して医療品を搬入するところから始まった。ようやく診療が始められると思った矢先、近くでドーンという音がした。

「え?と思ったら、地雷の爆発でした。巻き込まれた民間人が次々搬送されてくるんです。日本では普通、そんな患者さんを診ることはないですよね。それが1日4人も5人も来る。とにかくやらなくちゃ、って」

 真山医師の派遣期間だけで、300人以上の地雷被害者が診療所に運び込まれた。

「つらかったです。診療所に運ばれてきた時点で、手の施しようのない人も少なくない。若者や子どももいます。一家丸ごともある。治療中は必死ですが、終わるとどっと疲れが出て、体調を崩してベッドから起きられない時期もありました」

 真山医師は、もう自分にはMSFの仕事は続けられないと思った。しかし、派遣期間を終えて日本に戻ると、「また行きたい」という気持ちが湧き上がってきたという。

「少し時間を置くことで自分を客観視できたんです。自分がいなかったら救えなかった命もあったし、その体験はかけがえのないものでした。現地でともに働いた世界各国の仲間や現地スタッフの存在も大きくて、また一緒に働きたいと思えたんです」

 20年9月、新型コロナウイルス対策のために真山医師は2年ぶりにラッカを訪れた。

「驚きました。子どもたちは学校に通い、道路には車が渋滞していた。廃虚だった街に人々の暮らしが戻っていました」

 真山医師は現在、フリーランスの医師として活動している。MSFを無償奉仕と思っている人もいるかもしれないが、派遣期間には給与や経費が支払われる。現地での生活費も支給され、スタッフの安全対策は徹底されている。そして派遣期間が終われば自由だ。所属する病院に戻る医師もいるが、真山医師は派遣先から旅に出たり、要望があれば日本の病院で勤務したりする。いまは福島の病院などで働きつつ、次の派遣を待つ。

「医師免許があれば何かしら仕事はあるので、そのとき自分がやりたいことができます。医師の働き方はひとつじゃない。視野を広げて、いろんな人に会ってほしいですね。けっこう刺激的でおもしろい世界ですよ」

(神 素子) 

※週刊朝日MOOK「医学部に入る2022」より抜粋

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