AERA2021年10月4日号から
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 ところが、19年2月のベトナム・ハノイでの米朝首脳会談が決裂した。制裁が緩和されないどころか、20年初めには新型コロナウイルスの防疫措置として中朝国境を封鎖。同年には3個の台風が次々、北朝鮮を襲うという「三重苦」に見舞われ、正恩氏の公約は地に墜(お)ちた。

 正恩氏が主導した日本海側の観光団地や平壌の総合病院建設も資材難のため、工事が頓挫している。さらに文化開放策が裏目に出て、若者を中心に米韓などの文化を模倣する動きが強まった。焦った当局は昨年末、反動思想文化排撃法を採択。今年に入って様々な職域団体や党組織の会議を招集し、思想統制の引き締めに躍起になっている。

 北朝鮮がこの1年の間に、軍事パレードを3回も実施したのは米国に対する威嚇というよりも、国内向けに「強い政権」を演出し、反抗する気持ちを奪うことに主眼があったと言える。

■“強硬派”が権力を掌握

 特に9月9日のパレードは、「建国73周年」という中途半端なタイミングで、正規軍ではない労農赤衛軍が登場するという異例の催しになった。1970年代に行われた労農赤衛隊(当時)のパレードを知る韓国の専門家は「当時は武器も持たず、黙々と行進した。今回は音楽演奏や花火など派手な演出が目立った」と語る。今の正恩氏に、米国を相手に戦争を仕掛けるような余裕はない。

 政権基盤が揺らぐなかで現れたもう一つの特徴が、軍部の伸長だ。2018年まで北朝鮮大使を務めたドイツのトマス・シェーファー氏は「金正恩は絶対的独裁者ではない。金正日でさえ、軍や他の強硬派の願いを考慮に入れなければならなかった。金正恩の立場は、おそらく金正日よりもはるかに弱い」と語る。シェーファー氏は、北朝鮮には軍を中心とする強硬派と、外務省を中心とする対話派のせめぎ合いがあったが、米朝対話などを率いた姜錫柱副首相が16年5月に死去し、強硬派がほぼ権力を握ったとみている。

 外務省にも、非核化に強く抵抗した崔善姫第1外務次官のような人物もいるので、単純に割り切れないが、軍が影響力を強めているのは事実だろう。正恩氏は18年4月の南北首脳会談で「1年以内の非核化も可能だ」と語ったが、ハノイ会談では「寧辺核施設の放棄しか認められない」と述べ、態度を変えた。韓国政府の説明によれば、今年7月の南北通信線の復旧は正恩氏の求めによるものだったが、米韓合同軍事演習を契機に再び断絶した。最高指導者が態度を変えるのは極めて異例だ。最近のミサイル実験を正恩氏ではなく、軍関係者が指導していることを併せて考えると、軍の力が伸長している可能性がある。

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