2時間半後に、重い身体をドサッと椅子に沈めて、肉体と精神の脱水症状を妙な快感を伴いながら、過去、現在、未来の時間をシェークして、疲れた魂を地球の成層圏外へ飛ばしながら、しばらくボンヤリと、戦士の休息を気取った。大渋滞の帰りの車窓から見る人のシルエットは、明日描くだろうという絵の人物画のモデルのようにゆらゆらと泳いでいるように見えた。
絵を描くという目的のない行為は、それ自体が目的である。何かの大義名分のために描くわけではない。絵のために描くだけのことである。未完で生まれてきて、未完のまま生きて、未完の作品のために未完を続け、そして未完のまま死んでいく。それでいい。いつの日か魂が浄化されて、不退の土に赴くならば、その時、未完は完成する。そんな妄想をこのところ毎夜、ベッドの中にもぐると、エッシャーの絵のように、または遺伝子の二重螺旋(らせん)のようにねじれて上昇していくビジョンに不思議な永遠性を感じながら仮の死に旅立つのです。
先週のセトウチさんのお話に対して、もう少し補足した話を近々書いてみます。僕の養子という境遇についてのお話です。書きにくい話でもありますが。
◆瀬戸内寂聴「寂庵はコロナ禍でも緩やかで穏やかな日々です」
横尾先生、ご無沙汰しております。瀬戸内の秘書の瀬尾まなほです。
東京都現代美術館で開催中の展覧会の取材やテレビの出演など、お忙しくお過ごしかと存じます。瀬戸内も、「行くのが最後になるだろうから、今回は東京へ見に行きたい」と何度も言うのですが、横尾先生が御止めになったように、コロナ感染の不安もある中、なかなか実現できそうにありません。
夏に寂庵のスタッフがコロナに感染し、大変なことになりましたが、なぜか瀬戸内はここで、「流行りの病気に感染した」とコロナに感染したかのようなことを書き、ネットで騒ぎになりました。知り合いからも電話がきました。瀬戸内のPCR検査結果は陰性でした。