全国に100万人いると言われているひきこもり。「ひきこもり」と一括りにされますが、当事者一人ひとりにさまざまな背景があり、またそれぞれにストーリーを持っています。今回、不登校新聞編集長の石井志昂さんがこの連載で取り上げるのは、長崎県に住む中村秀治さん(35)です。誠実で温厚な性格な方で、絵を描くことや文章を書くのがすきな物静かな青年です。その一方で、ひきこもりの真っ最中に東日本大震災の住み込みボランティアへ行ったというエピソードを持っています。そのボランティア生活で中村さんは意外なものを持ち帰ってきました。ひきこもりの中村さんが手に入れたものを紹介したいと思います。
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中村さんは20歳ごろからひきこもっています。小学校6年生で不登校を経験し、高校は夜間高校に進学。卒業後は県内の会社に正規雇用が決まりました。ところが、ずいぶんと殺伐とした職場だったようです。職場内の会話は世間話よりも同僚に向けた悪口がメイン。仕事で足の引っ張り合いもあり、トラブルが発生すると噂話で盛り上がる。そんな悪意が飛び交う職場で、ストレスを感じた同僚のなかには血の混じった胃液を吐く人もいたそうです。悪口を聞くのも言うのもイヤだった中村さんは、職場内で孤立。居心地はさらに悪くなり、入社から10カ月後に退職しました。
退職後、ひきこもり生活に入りますが、「悪い場にあたってしまった」とは思わず、自分を強く責めました。不登校も克服したのに、職場もダメにしてしまった。「自分は社会不適合者だ」「逃げてどうするんだ」、そんな言葉が心に突き刺さってくる。親や兄弟、社会に対しての罪悪感が芽生え始め、出勤する母の姿を見ては、心なかで毎日、謝っていたそうです。生きた心地がしないし生きている理由も見つけられない。そんな生活は6年も続きました。
◆被災地ボランティアへ 目まぐるしい日々が邪念振り払う
2011年3月11日、東日本大震災が起きました。地震や津波で倒壊した街並みがテレビに映し出され、毎日のように原子力発電所の事故に関する報道がされました。25歳になった中村さんはニュースを見て、ある決意を母親に伝えます。
「被災地でボランティアをしたい」。自分にはツテがなく母親に探してほしいと頼んだのです。複雑な心境はありました。被害状況を見て「何か手伝いたい」という思いがありながらも、自分には何ができるのという思いもある。それ以前に人に合うのも怖いし、外出も怖い。でも、行きたい……。 縁が生まれたのは震災から半年後。母親の知り合いとボランティアへ出発することになりました。