だからスポットに当たるためにはエッセイでも嘘をついてしまうのです。でもエッセイは特別面白おかしく書く必要などなく、ありのままの心情を正直に自然体で書くのが一番好感が持たれます。エッセイで嘘を書くと途端に文章が曇ります。ですからエッセイで嘘を書いていると、その人が次第に曇って行きます。芸術は透明であるべきです。エッセイはその透明を計る測定器みたいなものだと思います。

 まなほ君のエッセイが面白く評判がいいのは、あるがままの自分を晒け出して自己の想いに忠実に書いているので評価されているのです。面白く書こうという気持ちがないので面白いのです。

 最後に僕の好みを書いておきますが、僕は日本特有の私小説というジャンルの小説がどうも好きになれないのです。それはその吐き出し方が違うんじゃないかな、ということです。生活をバラすことで週刊誌的興味はありますが、本当に自己の不透明性を吐き出すのは、自我滅却性を目的にしないと、逆に不透明なものになりかねません。ものを創造するということは結局透明人間になることではないでしょうか。

◆瀬戸内寂聴「少しの間でしたが、ゆっくり休めたと思います」

 横尾先生へ。

 瀬戸内の様子はおかげさまでだいぶ良くなりました。

 小説家として20代から書き続けてきた瀬戸内は、もう全身が作家になっているのでしょうから、ペンをおくということは、私で言うと歯磨きをしないくらい違和感のあることのような気がします。書くことは仕事でもあり、日々の習慣です。

 来客もなく、対面取材やテレビ取材も受けておらず、執筆の仕事と時々電話取材を受けるという一見、ゆったりと過ごしているようですが、原稿の締め切りをすべて放り投げて、本当の意味で「何もしない」ということが、病気にもならない限りないのだとわかりました。少しの間でしたが、ゆっくり休めたのかと思います。

 私が朝、瀬戸内に会っても、体がしんどいのか目をつぶり、横になったままぽつりぽつりと私が話しかけることに応えます。私に背を向けたままなので、私もだんだん面白くなくなって、「先生、目を開けて私の顔を見て下さい」と言うと、「まなほの顔見たって仕方がない。何かいいことでもあるの?」ですって。確かに、いいことなんてありませんけど。

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