
半世紀以上の親友・横尾忠則さんと瀬戸内寂聴さん。11月9日に逝去した瀬戸内さんへ、横尾さんからの追悼文です。
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◆横尾忠則「時々こちらも覗いて、浮世気分に浸って下さい」

セトウチさん
最後の往復書簡です。読めますか。聞こえますか。まだ生死の境を彷徨(さまよ)っているセトウチさん。やっと肉体の苦痛から解放されて、背中に羽が生えて、天空を駆(か)ける自由な魂の存在になりましたね。
「百歳、百歳」と耳にタコができるほどお経のようにうるさく唱えておられたのに、ちょっと早過ぎましたね。セトウチさんとのここ2年間の話題は死が中心で、現実的にはお葬式のセレモニーの演出プランばかり話していました。
「ヨコオさん、葬儀委員長になってね」
「嫌です。僕がやるとアートになってしまいます」
「では弔辞を」
「嫌です。文学者として死にたいセトウチさんは誰か文学者に頼むべきです」
「文学者は嫌いなの」
死後の演出まで愉しんでいるセトウチさんの人生は何なの? 人生を遊びと考えている。実に素晴しい。でもセトウチさんの死の遊びにはまき込まれたくない。
「でもヨコオさんが棺桶を担ぐのだけは私の方から丁重にお断りします。またころばれたら困ります」
「いつだって、ころんでケガをして入院するのはセトウチさんじゃないですか」
「何もしないで、一番前の列に座って頂戴」
参列者の座席順まで決めたいセトウチさん。皆さん、セトウチさんってこういう人です。ドキュメントをフィクションにして遊ぶセトウチさんは人生をそのまま芸術にしてしまいます。日常の芸術化。その間に線が引かれません。不倫だって得度だって、セトウチさんにとってはどれも芸術であり、文学であり、遊びなんです。そう、人間は遊ぶためにこの世に生まれてきているのです。
夜、遅く電話をしてきて、「東山の満月がきれいなの、見える?」
「東京には東山はありません。今、東京は雨です。お月さんなんかありません」