かつて「なぜ政治家になったのか」と新聞記者に聞かれ、安倍さんは「祖父も父も政治家だから当然、政治家になるんだろうと思った」と話している。言ってみれば、家業だね。

 幼かった安倍さんは祖父の岸さんが首相だった頃、渋谷・南平台の岸邸によく遊びに行っていた。おじいさんの背中に乗ってお馬さんごっこなんかしていた。当時は日米安保条約の改定阻止を掲げたデモ隊が連日のように岸邸前に押し寄せた。聞こえてきたデモのかけ声と同じく、安倍さんが「アンポ反対」「岸辞めろ」と言うと、岸さんが「おもしろいからもっと言え」とあおったそうだ。そんな懐の深い岸さんの姿に、安倍さんはすっかりファンになった。だから、今もずーっと、おじいさんを尊敬している。

◆心残りは未達のアベノミクス

 安倍政権の終盤で最大の問題となったのは、新型コロナウイルス感染拡大への対応だ。安倍さんは20年4月に緊急事態宣言を出したが、欧米よりも約1カ月遅れた。国民の基本的人権、プライバシー権を損ねるからだというのが理由だった。さらに日本の財政事情がよくないため200兆円規模の財政出動は難しいという。大臣たちや野党、マスコミも実は反対していた。それでも、新型コロナとの闘いのため、緊急事態宣言に踏み切った。

 ただし、日本以外の国は(ロックダウンといった)緊急事態に違反したら厳しい罰則規定がある。僕は安倍さんに「日本でも罰則規定を設けるべきではないか」と聞いた。すると、安倍さんは「そんなことをやったら政権が持ちませんよ」と言った。日本は先の戦争体験から、権力を上から行使することに対して反対が強いってことなんだよね。

 名前を冠した経済政策「アベノミクス」も、うまくいっていないことは、実は本人自身も認めていた。このため総裁3選の後、経済界や僕も協力してプロジェクトチームを作って、日本の産業構造を抜本的に改革しようとしていた。20年6月ごろ、経済を含めた安全保障に取り組まなきゃいけないということで、安倍さんも「取り組みましょう」と前向きだった。

 現職の大臣や自民党の政治家、経済界幹部や霞が関の官僚たちと議論して、だいたい考え方がまとまった同年8月初旬、安倍さんにもう一度会おうと思ってアポをとろうとした。そうしたら、総理周辺から「総理の体調があまり良くない」という話が聞こえてきた。心配していたら、数週間後の28日に辞意表明しちゃった。そんなに具合が悪かったのかと。

 アベノミクスを修正しつつ、日本経済をどうしていくのか。安倍さんは本気で考えていたんだけど、結果として“宿題”なっちゃったね。(構成 週刊朝日編集部)

*次回は田中角栄です

週刊朝日  2021年12月17日号

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