■走り回った初の市長選 疲労困憊でも「行け」

 が、しかし背景がどうであれ、政治家のパワハラは許されない。もう2度目なのだ。3年前には交差点用地の買収の遅れにいらだち、「(建物に)火をつけてこい」と担当職員を怒鳴ったことが発覚して辞めた。並の市長なら一巻の終わりだ。

 そこで、風向きを変えたのは若い世代の「草の根の民意」だった。子育て中の母親たちが、頼まれたわけでもないのに泉市政の継続を望んで署名活動をくり広げた。5千筆が集まり、出直し選挙で全投票の7割を得て泉は再選される。気持ちを入れ替え、アンガーマネジメントの講習を受けた。カッとしても6秒間がまんしようと心がけた。

 だが、式典でキレて人を罵倒してしまったのだ。ことの重大さに泉を支えてきた後援者が血相を変える。式典を終え、興奮冷めやらぬ泉にがっちりとした体躯(たいく)の男が歩み寄った。心腹(しんぷく)の友で、選挙参謀でもある会社社長、朝比奈秀典(59)だった。

「おまえなぁ市長やろ。場所をわきまえろ。せっかくいいことしてるのに、あんな発言してたらゼロになるぞ」と朝比奈は泉に耳打ちする。中学の柔道部で一緒に汗を流した仲である。親友の諫言(かんげん)で、のぼせた頭がやや冷めた。最初の市長選で、全政党と全業界団体、労働組合すべてを敵に回して出馬したときのシーンが脳裏をよぎる。

泉が実践する「子どもを核としたまちづくり」は混迷の時代を照らす灯台となった(撮影/MIKIKO)
泉が実践する「子どもを核としたまちづくり」は混迷の時代を照らす灯台となった(撮影/MIKIKO)

 長年、地方の選挙運動を差配してきた朝比奈は、戦い方を熟知している。終日、選挙カーのハンドルを握りながら、隣の泉に細かな助言をした。

「ほら、畑のお爺(じい)さん、こっち向いとるで。行け。一票、一票つかみとるんや」。はじかれたように泉は走った。地元の票を固め、県知事の側近で当選確実といわれていた対立候補の票を引き剥がす。やらせで千人を動員する演説会ではなく、一人ずつ千人の手を握る戦術を採った。あまりに走り回りすぎて疲労困憊(こんぱい)、「5分だけ時間をくれ」と泉が言うと「親子連れが見てるで。どうする? 落ちたかったら休め、通りたかったら……」と朝比奈は返す。「おまえは鬼や」と言い残し、汗だくの泉は車から飛び出していった。市民のための政治はそうして緒に就いたのだった。

 冷静さを取り戻した泉は、暴言を浴びせた市議らに謝った。家族と相談し、引退を決める。もともと3期12年でひと区切り、と考えてはいた。8月下旬、私のロングインタビューに「本来、自分は事務局長タイプ。担げる政治家がいれば幹事長役で、政治の大転換を図りたい」と答えた。次のステップへ生き急いでいるように感じられた。

次のページ