元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】稲垣さんが銭湯友達からもらった松茸ご飯のお裾分け

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 我が近所の豆腐屋が、ついに店を閉じた。

 お父さんもお母さんも80代半ば。キリがないからそろそろ辞めたいと何度も聞かされていたけれど、その日が来るのが恐ろしすぎて「仕事が健康の素だから!」などと手前勝手な理屈をこね精一杯の説得工作を続けてきた。でも永遠に続くものなどない。

 閉じたシャッターに貼られた「閉店のお知らせ」に、通りかかりの人が次々に足を止め、じーっと見ている。

「この地に私の父が豆腐店を開業し、以来93年、皆様のご愛顧を頂きながら無事商いをさせて戴きました」「私も寄る年波には勝てず、若い頃にやってまいりました無茶も効かぬようになったようで、これ以上無理を重ねて皆様にご迷惑をかけるより、思い切って閉店させて戴こう、とパートナーである我が女房殿とも相談の上、閉店のお知らせをさせて頂くこととなりました」「これにて、およそ100年にわたる芝居の幕を下ろさせて戴きます」

 やせ我慢。洒落っ気。決断。ホント江戸っ子である。

銭湯友達から松茸ご飯のお裾分け。現代にも残るこのような精神を繋いでいかねば(写真:本人提供)
銭湯友達から松茸ご飯のお裾分け。現代にも残るこのような精神を繋いでいかねば(写真:本人提供)

 7年前にこの地に越して来て以来、店の軒先でお父さんと立ち話をするのが日課だった。質素を好み、早起きで、今風のものに批判的な我らはウマが合い、昨今の世相を「嘆かわしい!」と2人で言い合うムダな時間が最高だった。揚げ物担当のお母さんは「今日のお揚げは伸び悩んでねー」としょっちゅう一枚余分に包んでくれた。可愛い夫婦喧嘩はしょっちゅうで、そんなご夫婦は時代劇の中から抜け出してきたよう。古き良き江戸がリアルにそこにあった。

 覚悟していたこととはいえ、店の前を通るたびに、閉じたままのシャッターを見てグッと胸が詰まる。

 そこではいつも、誰かがお父さんやお母さんと話をしていた。赤の他人同士がニコニコしている姿が当たり前にあったことが、人はこんなふうに自然につながりあって生きていけばいいんだなと思わせてくれていたのだ。そのことに自分がいかに助けられていたかを、それが永遠に失われた今になって思うのである。

◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2022年10月10-17日合併号