蛍光塗料のオブジェ「第四の構成」シリーズと、鉄とガラス板に石が載った「関係項」の展示風景。反射で錯視的な効果が生まれている(撮影/山本倫子)
蛍光塗料のオブジェ「第四の構成」シリーズと、鉄とガラス板に石が載った「関係項」の展示風景。反射で錯視的な効果が生まれている(撮影/山本倫子)

李:いまはAIや情報技術が発達し、かなりバーチャルな社会になっています。でも、みんな同じ情報を共有しているようでいて、不思議に孤立している。音楽でも演劇でも美術でも、芸術は具体的な現場を提供して、触れてもらう、あるいはその空気を浴びてもらうことによって、自分を生きているような感覚を少しでも呼び覚ましてもらうことが一つの役目かなと思います。

佐藤:空間の重要性は、今日こうして先生と場を共にしてよりはっきりしました。僕はもともとグラフィックも空間的に考えていました。例えばSMAPのアルバムキャンペーンで使った赤青黄の3色もいろいろなロゴも、中のコンテンツを作っている感覚はなく、空間ありきで街をキャンバスにした時にどう見えるか考えていました。だからすごくシンプルなものでも成り立つようにしています。

代表的シリーズ「関係項」の展示風景。ここでは、角材や鉄板が危うさを感じさせるようなバランスで配置されている(撮影/山本倫子)
代表的シリーズ「関係項」の展示風景。ここでは、角材や鉄板が危うさを感じさせるようなバランスで配置されている(撮影/山本倫子)

■誰もが「編集」している

 ここで、余白というか、省くという感覚についても聞いてみたいです。僕は整理術について本を書いたくらい、整理好きです。自分のクリエイションも整理をしていくことで成り立つという感覚です。若い時はデザイナーとして、作家性みたいなものを持たなくてはいけないんじゃないか、ともがいてもいましたが、だんだん自分を消していく方がいいのかもと思うようになりました。デザインも、何もしていなくても何かをしているみたいな、シンプルで作家性を消したものでも、強く機能するのがよいと。

李:浅田彰さんの本で、「現在はみんな編集狂になっている」という趣旨のことを読んだ記憶がありますが、物があふれる現代は、誰もが編集行為をしているから、整理や省くという機能が重要になっている。自分自身についても突き詰めて整理すると、無名性になると思います。考えを磨いたり経験を重ねたりしていくと、余計なことは省いて単純化したうえで、高度な次元で組み立てることになりますね。でも、単純化と手を抜くことは違う。やはり制作には身体感覚が必要で、身体性やリアリティーを持った、空間のありようを示したいんです。

切り詰められた筆触と余白が印象的な「照応」(1992年、神奈川県立近代美術館蔵)を見る(撮影/写真映像部・高野楓菜)
切り詰められた筆触と余白が印象的な「照応」(1992年、神奈川県立近代美術館蔵)を見る(撮影/写真映像部・高野楓菜)

佐藤:高校生の息子が李先生のファンです。彼らのような若い世代に対して、伝えたいことはありますか?

李:大学で教えていた時、学生たちはなかなか外国へ行かなかった。過ごしやすい日本から動きたくないというのですが、それでは困る。自分の共同体以外に足を踏み入れ、怖がらずに未知のものと出会うことが、生命力を強くすると僕は思うんですね。現代美術も、何だかよくわからないものにぶつかる、そういう場としての機能があるんじゃないかと思います。

(朝日新聞社・木村尚貴)

AERA 2022年10月3日号

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