エッセイスト 小島慶子
エッセイスト 小島慶子

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 先日、京都でタクシーに乗った時のこと。乗り場で待っていた私の前に停まったのは、60代と思しき男性が運転する年季の入った車。行き先の店名を告げると「そんな店知らん」と叱られました。全国に知られる1600年代創業の老舗でも、京都では新参者扱いなのでしょうか。店のある通りの名を告げると乱暴にアクセルを踏み込み「タクシーの運転手なんて自分が住んでいる町の近所ぐらいしか知らない。みんなそうだ」とまだ怒っています。世界的な観光地のタクシーでそれはさすがにないのではと思いましたが、何しろ命を預けている身ですから、運転に集中してもらうべく聞き流します。

 きっといかにもよそ者という風態の東京言葉の女が古都のおじさんの気に障(さわ)ったのだろうなと一刻も早く到着することを願っていると、また「そんな店誰も知らん。知っていたら、タクシーの運転手なんかしていない!」ともはや支離滅裂(しりめつれつ)です。でもその言葉が気になりました。自暴自棄にも聞こえます。このおじさんの人柄の問題もあるけど、長引くコロナ禍と追い打ちの物価高が人の心にも影を落としていることを思わずにはいられません。おじさん、私もコロナ禍ですごく不安なんだよ。つらいよね。でもそれはないよ。

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小島慶子

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。共著『足をどかしてくれませんか。』が発売中

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