ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、先日亡くなったソ連元大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏について。
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旧ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)最後の共産党書記長であり、ソ連唯一の大統領でもあったミハイル・ゴルバチョフ氏が亡くなりました。奇しくも彼が再建を試み、崩壊に導いた旧ソ連のロシアとウクライナが戦争を激化させる最中での逝去です。
80年代後半まで旅客機が飛ぶのも危険だった旧ソ連上空は、今再び飛行回避ルートとなり、かつて東西でボイコット合戦が繰り広げられていたオリンピックもまた、現ロシアは出場できない様々な事情を抱えています。ゴルバチョフ氏が掲げた「ペレストロイカ」を経て、連邦の崩壊から今年で31年。ちなみにプーチン大統領は葬儀には列席しないそうです。
ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任したのが1985年のこと。西側文化に生きる私のような東洋人の子供にも、彼の出現は非常に革新的に映りました。その1年後にはチェルノブイリ原発の事故があったり、まだまだソ連は計り知れない闇を抱えている国だったものの、それまで西側が抱いていた「暗い・怖い」というイメージは急速に変化し、これで長いトンネルを抜けられるのではという気持ちにさせられたのも事実です。もちろん政治的な思想や能力も大きかったと思います。しかし最大の要因は、間違いなく氏のルックスにあったのではないでしょうか。
歴代のソ連最高権力者が醸し出してきた印象とは明らかに違う、温和でハンサム然としたゴルバチョフ氏の存在は、たちまち「ゴルビー」なる愛称とともに、まるでアイドルさながらの人気となりました。80年代後半のイギリスでは、依然としてアフガン侵攻も未解決で、チェルノブイリの放射能による危険と隣り合わせだったにもかかわらず、街の土産屋にたくさんの「ゴルビー・グッズ」が並んでいました。東西冷戦終結への筋道が見え始め、ソ連に対する漠然とした恐怖感や嫌悪感が薄れていく空気感の中、「共産主義国リーダーの顔がプリントされたTシャツを着る」ことは、まさに平和な時代の象徴だったのかも。私の母も「理想の男はショーン・コネリーかゴルバチョフ」などと宣(のたま)う、そんな時代でした。彼の政治的手腕など当時の私にはほとんど理解できませんでしたが、いずれにせよ「顔って大事だな」と思ったことだけは鮮明に憶えています。