(photo 木村元彦)
(photo 木村元彦)

 コンサートの実現とその成功の背景には、ポーランドの官と民がウクライナに向けた分厚い支援の礎があった。

 2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻すると、即座にポーランド政府はイミグレーションを開放し、この東の隣国からの難民を大量に受け入れた。おおざっぱな計算だが、ウクライナから、4カ月余の間でポーランド国境を越えた避難民の数は約330万人、そして150万人以上が市民登録ナンバーを取得している。労働する権利も付与され、子どもたちも就学ができる。

 政府としての保護もさることながら、市民レベルでの自発的なサポートも動き出すのが早かった。多くの民間人が自家用車で国境に向かい、逃れてきた見ず知らずのウクライナ人の家族を自宅に招いては、住居や仕事を提供していった。ウクライナとポーランドは、言語はもちろん、宗教(東方正教とカトリック)も文字(キリル文字とラテン文字)も異なる。しかし、ベルチャズニと呼ばれる出稼ぎや、西側の教育を志向する留学生、クリミア危機のときに流入した難民など、戦争が始まる前から約200万人弱のウクライナ人が居住しており、町のそこかしこで共存する風景が見られた。

 ルブリンで文化センターの活動をするアレクは、戦争が始まると妻のヴィオレッタ・グラツカ(26)、通称ヴィオラとともに立ち上がった。ヴィオラは西ウクライナのフメリニツキー出身のウクライナ人である。

 アレクとヴィオラは、ロシアの侵攻の一報を受け取ると、在ルブリンウクライナ支援協会を作った。アレクは住宅支援、ヴィオラはSNSに横行するデマを訂正していった。

「戦争になるとフェイクニュースが氾濫します。それに対して真実の前線基地を作る必要があったのです」(ヴィオラ)

 そのIT上の存在が際立ってくると、世界各国のウクライナ大使館から、特別なミッションの打診がヴィオラの元へなされてきた。頼まれたのは、海外からウクライナのために参戦したいという義勇兵の戦場への輸送である。アレクは引き受けた。イギリス、クロアチア、アメリカ、フィンランドなど八つの国々から、兵士がワルシャワ、ジェシュフ、ルブリンの三つの空港に降り立つことになった。

「私は信頼できるドライバーのリストを作り、到着便に合わせて差配しました」(アレク)

 空港に着いた兵士たちを、武器とともにトラックでコルチョバというボーダーに送った。

「戦争が勃発した直後に全部で十数人、運びました。他のルートが確立され、その後は、衣服や食料などの運搬にシフトしていきました」

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