1989年に石原氏が自民党総裁選に立候補した際も、亀井氏は奔走して推薦人20人を集めた。
「当たり前のことをしただけだよ、友人としてね。石原は知の巨人だった。政治家というのは彼の一部でしかない。薄汚い一部だよ」
95年、石原氏は「去勢された宦官(かんがん)のような国家になり果てた」という言葉を残し、国会議員を辞職した。その石原氏の思いを亀井氏はこう代弁する。
「それは政治家がダメだからさ。政治家がサラリーマン化して、モノが言える国会議員がいなくなった。こんな奴らとやっていられるかという思いだったのだろう」
それから4年後の99年、石原氏は東京都知事選に無所属で立候補し、初当選を果たす。週刊誌が銀座の元ホステスとの間に”隠し子”がいることを報じた。石原氏は定例記者会見でつっこまれると、あっさりとそれを認め、十分な責任を果たしていると説明した。
「彼はそんなことを隠すような男じゃないし、また自分から発表することでもないから、自然体で対応しただけ。純粋な男で『太陽の季節』そのものだよ」
作家としては、デビュー作の小説「太陽の季節」で芥川賞を23歳で授賞。小説は映画化され、弟の石原裕次郎さんが主演を務め、一躍スターとなった。その裕次郎さんは87年に52歳の若さで亡くなった。石原氏は96年、裕次郎さんの生涯を描いた私小説「弟」を出版。たちまち話題となり、テレビドラマ化された。
「彼は弟ついてはあまり語らなかったが、裕次郎を好きだった、愛していたというのはわかった」
裕次郎さんが亡くなってから、35年。石原氏も同じ場所へ旅立った。亀井氏は言う。
「太陽は沈んだけど、陽はまた昇る。石原慎太郎は日本人の心の中にいつまでも残り、彼は永遠に生きていくんだよ」
(AERAdot.編集部・上田耕司)