TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。淀川美代子について。
【写真】セックスを大特集した「アンアン」の1989年4月14日号
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昨年亡くなった伝説の編集者、淀川美代子の足跡を辿り、東銀座のマガジンハウスを訪ねた。
元社長で日本雑誌協会理事長を務め、現在取締役相談役の石崎孟(つとむ)は、江戸期から麻布十番で布団屋を営む大店の息子である。立大アメリカンフットボール部出身の「バリバリの体育会系だった」彼が販売部から編集に移った際、アンアン編集部で淀川と同じ班になった。
「特に美形でもないんだけど、可愛くてオシャレな人だなーって」。印象的だったのはマニキュア。「爪をあずき色に塗っていたんです。同じ班だったから、マニキュアを眺めながら『君、どんなことやっているの?』って気軽に聞いたら怒られた。『ヘンなこと、聞かないで!』。そこから一挙に仲良くなってね(笑)」
可愛い顔をして生意気だった淀川は、いつもどこからか可愛らしいものを見つけてきた。
「ワークブーツってあるでしょ。それを女用に作り替えたらどうなるか?って、(KISSAの)高田喜佐さんにお願いして、見開き2ページでパーンとやる。高田さんもだけど、淀川にはシンパがいた。ピンクハウス金子功さんの奥さんの立川ユリさん、小泉今日子さんとか。有名、無名じゃなくて、生き方、厳しさ、オシャレ具合がほどよい仲間たちが」
ルイ・ヴィトンも淀川に教わった。こんなビニールのバッグが何十万?と思ったが、「彼女がパリで買ってきた。で、タレントの大辻伺郎さんのコレクションを4ページでずらりと紹介、日本でルイ・ヴィトンをメジャーにした最初の記事になりました。淀川もサラリーマンだったから、給料を使い果たしたんじゃないかな」
石崎が広告タイアップの制作部署に異動した際、日本で一番儲かっている雑誌ランキングを見せられた。雑誌黄金期の90年代、淀川が編集長のアンアンがトップだった。部数のみならず広告量も桁違い。2番めが女性自身で、ノンノ、クロワッサンと続く。