2年前の3月29日、新型コロナで急逝したタレントの志村けんさん(享年70)。早いもので三回忌だ。生まれ育った東京・東村山市の西武・東村山駅東口には、昨年6月、志村さんの等身大の銅像が建てられ、今では志村さんやドリフターズの聖地として全国からファンが足を運んでいる。東村山市内の志村さんゆかりの地を歩いた。
「東京都とはいえ、いちローカル市にしか過ぎなかった東村山を全国区にして下さった功績はすごく大きい。この街を故郷とする僕らにとっては、誇りであり大恩人なんです」
こう話すのは「志村けんさん銅像プロジェクト実行委員会」の実行委員長、中野陽介さん(38)だ。命日を2日後に控えた3月27日午前、東村山駅東口にある志村さんの銅像の周囲を、同プロジェクトのメンバーや家族ら約15人がボランティア清掃していた。
志村さんがブレークするきっかけとなった「東村山音頭」は、もともと1964年の市町村合併で東村山市が誕生することを祝い、東村山町農協(現・JA東京みらい)が東村山町役場の協賛を得て制作。最初に歌唱したのは昭和歌謡の大御所・三橋美智也さん(故人)だった。
それをアレンジして、志村さんが「8時だョ!全員集合」(TBS)の少年少女合唱団コーナーで歌ったのは76年。白鳥の首がついたバレエのチュチュなど奇抜な衣装も大ウケし、「志村けんといえば東村山。東村山といえば志村けん」と言われるほど人気を集めた。
「志村さんに感謝の気持ちを表し、功績を残そう、ということで建てたのがこの銅像なんです。建立資金は目標金額2400万円のクラウドファンディングで募り、海外を含め6630人から約2744万円も集まりました」(中野さん)。
銅像は羽織はかま姿で、代名詞とも言える定番ギャグ「あい~ん」ポーズを決めており、にこやかな笑顔が見る人を和ませてくれる。
「先ほども、『大阪から来た』というファンの方がいましたし、志村さん人気は衰えていないようです。銅像の背景のパネルに『多くの笑いと感動をありがとう。』と感謝の言葉を記しました。コロナ禍で閉塞(へいそく)感が依然として残っていますが、これに尽きますね」(同)