「それで勘違いしちゃったんです(笑)。でも、大学に進学して、劇団に所属してからも、『実は俺、本当はアイドルになって、キャーキャー言われたいと思ってたんだよね』とは、恥ずかしくて言えなかった。役者として、周りからもそれなりに認められるようになって初めて、『いや、実はね』と、若気の至りを笑い飛ばせるようになりました」
そう言ってから一呼吸置いて、「この世界に足を踏み入れた人たちは、誰もが一度はそういう無邪気でミーハーな憧れを持っているんじゃないかな。ただ言わないだけで」と続けた。
大学在学中に、NHK大阪放送劇団付属研究所に入所し、その後大阪に拠点を置く劇団五期会に所属した。演劇ユニット「売名行為」を結成するまでの10年間は、升さん曰く「流されるままの日々」。所属する劇団では、作品を上演するたびにチケットのノルマに追われ、生活費はアルバイトで稼ぐしかなかった。ただ、「今は下積み時代」と割り切って芝居を続けているうちに、テレビ俳優になりたかった気持ちは次第に薄れていった。
「下積みも10年が過ぎて、30になる頃には、『この先ずっとチケットのノルマを抱えて、演劇活動は続けられない』と思った。それで、『売名行為』をスタートさせたんです。コント的な作品を発表することが多かったせいか、次第に、大阪ローカルのバラエティー番組やコント番組、ロケ番組なんかのレギュラーをたくさんいただけるようになって、生活が安定していきました」
「売名行為」で演出を担当していたのが、現在、さまざまな話題作を手がけている劇作家で演出家のG2さんだった。90年、G2さんは、「今を切り取った作品を」と、当時入院中だった中島らもさんに直談判し、「こどもの一生」という戯曲を書いてもらうことに成功した。その舞台は、初めて東京の劇場で上演され、98年にPARCO劇場で上演されたときは、G2さんのプロ演出家としてのスタートとなった。現在、東京芸術劇場プレイハウスで上演中の「こどもの一生」は通算5度目の上演になる。