升毅さん
升毅さん
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 俳優として芝居の面白さに気づき始めた30代半ばの時期に出会った戯曲が、32年の時を経て、通算5度目の上演となる升毅さん。自らの歩みを振り返ってもらった。

 10代の頃は、アイドルに憧れていた。1955年生まれの升さんは、「新御三家」と呼ばれた西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんと同世代。升さんが少年だった頃の娯楽の中心は圧倒的にテレビで、テレビに出ている人たちはキラキラと輝いて見えた。

「漠然と、『自分もあの世界に行きたい』と思ったけれど、当時は今みたいに、オーディション番組がたくさんあったわけじゃないし、歌手になる人たちといえば、地方から作曲家の先生のところに弟子入りして……みたいなイメージもあったので。一握りの選ばれし人たちだけが行ける世界だと思っていました」

 何の特技もない一般人が、「アイドルになりたい」などと言っても「はいはい。進路はどうするの?」と、家族も教師も、本気で取り合ってくれないこともわかっていた。そこで、さまざまなテレビ番組を観察するうち、歌番組以外にも、バラエティーやドラマがあり、ドラマに出ている人は、「確実にテレビの中にいる人」だと気づいた。

「アイドルよりも俳優を目指すほうがまだ現実的かもしれないと思い始めたのが、高校2年生か3年生ぐらいのときです。でも、高3のときの進路指導で、『僕は俳優になりたいので、大学に行きません』と言ったら、先生はキョトンとした顔で、『家族と相談してきなさい』と。もしあそこで、『アイドルになりたいんで』と言っていたら、『こいつ頭おかしいんちゃう?』ぐらいの目で見られたでしょうね(笑)。一度も『アイドルになりたい』とは公言しなかったですけど、もしそれを誰かに伝えたとしても、『キャーキャー言われたいだけでしょ?』と言われるのがオチ。実際そうだったんですから反論しようもない(笑)」

 自分はもしかしたらテレビの世界でやっていけるんじゃないかと思ったのには多少の根拠があった。中学2~3年のときに、かつてないほどのモテ期が訪れたのだ。とくに下級生の女の子からの人気はものすごく、休み時間にベランダに出ただけで、校庭から「キャー!」と歓声があがった。高校は、1クラスに女子が5人ほどの学校に進学したので、中学時代のような熱狂はなかったが、通学バスの通り道にあった女子校では、升さんが乗るバスの時間に合わせて通学する女子生徒が続出したという。

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