先日もTBSの「報道特集」が、国軍と戦うミャンマーの若者たちの声を報じていた。民主主義を破壊し、市民に銃を向ける国軍に対して、武器を持って立ち上がった若者がいる。彼らは、「ウクライナには世界中が関心を持ち、軍事支援までしているのに、ミャンマーには関心を示してくれない。私たちにも支援をして欲しい」と感じている。香港や新疆ウィグル自治区の問題でも同じことが言える。
日本は、同じアジア人であるのに、ミャンマーからの難民受け入れには非常に消極的だが、ウクライナに対しては、林芳正外相を派遣してまで受け入れの姿勢を示した。この違いが生じるのは、実は、国民世論そのものが欧米中心の見方になっているからこそ、政府もそれを意識した対応をしているという面もある。政府批判をしても、ブーメランとなって私たち国民に返ってくるのだ。
私たちは、アジア人でありながら、アジア人の目で見ることができない、欧米人の目を持った人間になっている。そして、それに気づくこともできなくなってしまったのではないか。私自身も、自らの目を疑うべきだとあらためて感じている。
※週刊朝日 2022年4月22日号より