今のようにタイムフリー視聴がなかった頃は、裏番組の「ナインティナインのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)とどっちを生で聴取するか迷った人も多かっただろう。

「彼らのラジオはとんねるずから続く東京芸人の深夜のしゃべり芸をきちんと受け継ぎ、オードリーや三四郎など次世代のラジオスターにそれを引き継いでいる印象です。ナイナイのANNは今も昔も大人気番組ではありますが、東京の放送作家や芸人はおぎやはぎのほうを聴いていた人は多い。意外にも、天下の吉本興業と長年真っ向から勝負し続けているのがおぎやはぎなのです」(前出のディレクター)

■20年前に起きたM-1での出来事

 そんな彼らのブレークポイントといえば、2001年の第1回「M-1グランプリ」だろう。

「彼らがファイナリストになった記念すべき第1回大会では、まだ一般審査員というカテゴリーがあったのですが、大阪では100点中9点しか入らず結果的に最下位に。しかし、これはあまりにも東京芸人に対する偏見が入り過ぎていて、おぎやはぎのネタは会場ではしっかりウケていたんです。当時、審査員をしていた松本人志さんも『大阪の客、頭おかしいんとちゃいますか』と異論を唱え、結果的に一般審査員制度は以降なくなりました。翌年の第2回大会では4位と大躍進し、審査員の立川談志師匠にも絶賛されたのですが、これ以上の爪痕を残せないままM-1を卒業。しかし、M-1のルールを変えるほど異色の存在であったことと、独特の間でほぼツッコミをしないというスタイルは次世代の漫才師たちに大きな影響を与えたと言われています」(前出の放送作家)

 M-1の申し子である笑い飯も、東京勢で唯一面白いと思ったコンビがおぎやはぎだとインタビューで述懐し、「次に売れるのはこの人たちだと確信した」と語っている。2005年以降、舞台でほぼネタをしなくなり、お笑い特番でたまに見るだけとなったが、彼らの漫才やコントをまた見たいと熱望している人は少なくないようだ。

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「おぎやはぎだから仕方ない」と思わせる