1985年、昭和天皇に寄り添う入江相政侍従長
1985年、昭和天皇に寄り添う入江相政侍従長

 厳格な人柄でも知られていた昭和天皇。天皇という地位に対する重責は、想像を絶するものがあるのだろう。

 終戦間もない1947年(昭和22年)から崩御まで、昭和天皇の御服(ごふく)を担当する内舎人(うどねり)としておそばに仕えたのが、元侍従職の牧野名助さんだった。

「昭和天皇はご自身に大変に厳しいお方だった」

 生前、牧野さんは記者に、そう語っていた。

 たとえば、外国の大使が離任のご挨拶で昭和天皇に会う。それを終えた昭和天皇は宮殿の一室で、モーニングから背広に着替える。そうしたとき、昭和天皇はいつも自身の行動を言葉にして、振り返ることをしていたという。

「今日は、私は間違っていなかっただろうか」「入江とも相談してみよう」

 入江とは昭和天皇に長く使えた入江相政侍従長のことだ。

足が入らないよ

 部屋にいたのは昭和天皇と牧野さんのみ。だが、話しかけた相手は、牧野さんではない。

天皇陛下ともなれば気軽な相談や会話はおできにならない。反芻(はんすう)することで、お考えを整理し、ご自身の行動は適切であったかと確認しておられたのでしょう」(牧野さん)

 厳しさの半面、仕える牧野さんには、全幅の信頼を置いていた。内舎人として40年仕えた牧野さんだったが、記者に痛恨のミスを告白したことがある。

 昭和天皇の晩年にあたる1988年(昭和63年)3月11日。静岡県下田市にある須崎御用邸でご静養中の昭和天皇は、朝の植物ご調査を楽しみにしていた。居間の廊下で編み上げ靴を履いていただくのは、内舎人の牧野さんの役目。

 ところが昭和天皇は、

「足が入らないよ」

 と。

 つい先日、昭和天皇が足の痛みを訴えたため、靴のサイズを、ひとまわり大きくしたばかり。牧野さんは、首をかしげながら布地の厚い毛の靴下から、薄い絹のものにはき替えてもらった。しかし、昭和天皇はこう訴える。

「だって、入らないよ」

 そんなはずはない――。思い返せば冷や汗ものだったと言う牧野さんだが、このときは必死。牧野さんは昭和天皇の「おみ足首」に手を添えて靴の中に運んだ。

「痛いよ」

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「内舎人も間違えるのだね」