若い女性たちを中心にLAダウンタウンに数万人が集結し行進(撮影/長野美穂)
若い女性たちを中心にLAダウンタウンに数万人が集結し行進(撮影/長野美穂)

「ねえ、そんなに脅えてどうしたの?」と心配そうに尋ねてきたのは同じカフェテリアで働く60代の黒人女性だった。

 人生の酸いも甘いも味わってきたようなこの女性になら、秘密を打ち明けられると思い、勇気を出して妊娠したことを告白した。

 すると、女性は自分の家においでと彼女を誘った。

「この女性がバスルームにお湯を溜めて、粉末を湯の中に振りまいたのを覚えている」

 粉末が溶けた湯の色は、鮮やかな辛子色に変わった。

「マスタード・バスよ」と女性が言った。

 マニスカルコさんはそれが何を意味するのか全くわからず、その女性の家から、仲良しだった19歳の義理姉に電話をかけた。

「それ、マスタード・バスだよ。中絶するための方法」と義理姉は電話口で言った。その頃の米国では、自分で堕胎するために、今では信じられないような方法が様々あった。女性たちはそうやって望まない妊娠から身を守るしかなかった。

 マニスカルコさんは、服を脱いで浴槽に浸かったのを覚えている。

「お湯に浸かって30分ぐらいすると生理痛のような鈍痛が始まった。我慢できないほどの痛みではなかった。その後2時間ぐらい、ひたすらお湯に浸かり続けた」

非合法時代に選んだ「中絶」

 家に帰ると、心配した義理姉が待っていた。ふたりで相談し、母親には何も言わなかった。

 数週間後、義理姉が「念のために診てもらったほうがいい」と郊外の無料女性クリニックを探して、マニスカルコさんを連れて行った。

「子宮内にまだ残留していたものを、そこで取り去る処置をしてもらった」と彼女は言う。

 街の総合病院のカフェテリアでアルバイトをしていたが、病院の医師や看護師に妊娠や中絶のことを打ち明けることなど、考えたこともなかった。

 周囲の誰にも決して知られるわけにはいかなかった。

 それが「非合法」時代に中絶を選んだ少女にできるただひとつの身の守り方だった。

 その6年後の1973年、米国の最高裁は「中絶は合憲である」という歴史的な「ロー対ウェイド判決」を下す。

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保守派判事がまとめた草稿の存在