中絶する権利を守るLAデモに参加したアニー・マニスカルコさん(右側、撮影/長野美穂)
中絶する権利を守るLAデモに参加したアニー・マニスカルコさん(右側、撮影/長野美穂)
この記事の写真をすべて見る

 中絶を選択する権利を巡り、米国が揺れ動いている。米連邦最高裁判所の過半数を占める保守派の判事たちが「中絶合憲」の判決を覆すべく動いていることが判明。「自分の身体のことは、自分で決める」として、この動きに反対する人々は、デモで声を上げている。

【写真】「中絶を禁じるのはやめろ」の意が書かれたカード

*  *  *

「15歳で妊娠したとき、誰にも打ち明けることができなかった。怖くてただただ身体が震えた」

 ハリウッド映画の特殊メイクなどを担当するメイクアップ・アーティストとして活躍してきたアニー・マニスカルコさん(70)は、そう語った。

 5月14日、中絶を選択する権利を合法として守るためのデモに参加した彼女は、ロサンゼルスの市庁舎前で「My Body」と手書きしたプラカードを手に持ち、数万人の群衆と共に立っていた。

怖くて気が狂いそう

 今から55年前、マニスカルコさんが15歳だった時の米国では、人工妊娠中絶の選択は「非合法」だった。

 ニューヨーク州バッファローの街で少女時代を過ごしていたマニスカルコさんは、年上の男性と知り合い、彼と一晩だけ一緒に過ごした。

「相手のことは、ほとんど何も知らなかった。自由に旅をしている人だったような記憶があるぐらい」

 その日以降、生理が来なくなった。

 妊娠したと直感した。

 当時は1967年。ニューヨーク州でも米国全体でも人工中絶は合法ではなく「非合法」だった。

 相手の男性とはその時以来会っておらず、行方もわからない。

「14歳で初潮を迎えた私は、15歳の時点でも、まだほんの子供だった。どうなってしまうのか、怖くて気が狂いそうだった」

 マニスカルコさんの両親は熱心なカトリック教徒だ。人工的に避妊することは神の教えに背くという考え方で、6人の子供を授かり育てていた。

「そんな母に、妊娠したなんて言えるはずがなかった」

 当時、マニスカルコさんは、バッファロー総合病院のカフェテリアで、放課後にウェイトレスのアルバイトをしていた。

次のページ
この方法に頼るしかなかった