
後に伴侶となる和田誠さんと知り合ったのもこの頃だ。和田さんは日本の職業イラストレーターの草分けである。映画監督としてメガホンを取り、エッセイストや童話作家としても才能を発揮した人物だが、2019年10月にこの世を去った。レミさんは亡き夫を今も「和田さん」と呼ぶ。
アプローチは和田さんから。テレビの生放送で歌い出しの調子が悪かったレミさんが「もう1回最初から!」とバンドに伴奏のやり直しを求める一幕があった。それを見ていた和田さんが興味を持ったという。確かに生放送で「もう1回!」と言う歌手なんて、なかなかいないだろう。
「和田さんが久米さんに私を紹介するよう頼んだのよ。そうしたら久米さんは和田さんに『一生を棒に振りますよ』って言ったんだって、まったく失礼しちゃうわよね。でも久米さんは自叙伝に『あれほどのおしどり夫婦になるとは夢にも思わなかった』とも書いてるわよ」
レミさんは和田さんとTBS地下のしゃぶしゃぶ店『ざくろ』ではじめて会い、それから10日ほどで結婚を決めた。ざくろに行く前、久米さんはレミさんに「食べたらすぐ帰ってくるんだよ」と声をかけた。
「きっと久米さんは私のこと好きだったのね。ウソよウソだって、絶対そんなことないって! アハハハ! カットカット!」
結婚後、レミさんは料理に力を入れるようになる。来客を通じてその味が評判になり、テレビ出演の話が来た。
料理愛好家と名乗るようになったのもその頃だ。当時、そんな肩書をつけている人はいなかった。レミさんは料理を研究しているのではなく、家族が大好きな家族愛好家。家族のために料理を作るから料理愛好家。唯一無二の「レミさん愛好家」だった和田さんの発案である。
レミさんの味覚の土台を作ったのは父の威馬雄さんだ。
「都立上野高校に通っていた時代、父がちょくちょく校門まで迎えにくるわけ。で、『映画館に行こう』って早退させられるの(笑)。映画のあと、いつもおいしいものを食べさせてくれた。中華がおいしかったな。おそば。エビも入っていて、片栗粉でとろ~んとしたおつゆがおいしかった」
私たちがテレビなどで見るレミさんはいつも元気いっぱい。「嫌なことはあまりない」というが、たまには本気で怒る。
「事件」の発端は、とある料理雑誌。ある号で、大きなタイトル文字が料理の写真にかぶっていた。
「『私の料理が死んでしまうからやめて! 文字をかぶせないようにして!』ってお願いしたの。そうしたら、編集者が『あなたよりデザイナーのほうが立場的に上だから応じられない』って。『誰がエライとかおかしいわよ!』って大ゲンカしちゃった。料理が一番大事なのに。このことを和田さんに言ったら『上手なデザイナーは料理写真の上に大きな文字を置いたりしないよ』ってわかってくれた。うれしかった」