
「要するに、すっごく無精なのよ! それと『せっかち』。美容院も苦手でね、パーマなんかで長いこと座っているとがまんできなくなるの。で、『打ち合わせがあったんだ! 大変大変!』って、ビチョビチョのまんま途中で帰ってきちゃう」
レミさんはもともとシャンソン歌手だ。日米のハーフでフランス文学者の平野威馬雄(いまお)さんを父に持ち、早くから音楽に触れていた。家には外国人の来訪も多かった。50年以上前の話である。
「外国人のお客さんがLPレコードを持ってきてくれるのが、うれしかった。レコード盤に針を落とすと、日本の歌とは全然違うメロディーが流れてきて素敵だった」
誰に言われるでもなく、一人で歌うようになった。
「歌が大好きで。広い庭に柱と屋根だけの東屋(あずまや)や温室があって、大きな声で毎日歌ってた。そのうち父が、『本気で歌をやるなら、習うか?』って言ってくれたの」
レミさんが歌のレッスンに通いはじめたのは16歳の頃。日本ではじめて歌劇「カルメン」を演じた声楽家、佐藤美子先生の元に連れていかれた。
「先生がね、プロになろうなんて絶対に思っちゃダメですよって私に言うのよ。プロはお金を取るのが商売で、お金はとっても汚らわしいものだから、プロを目指すなって。でもね、先生は私から月謝を取っていたけどね(笑)。おかしいわよね」
目をくるんと回して「月謝を取っていたけどね」というレミさんに一同爆笑。憎めない。みなから笑顔を引き出す。
レミさんは「プロ禁止」と先生に言われながらも内緒で、東京・銀座にある「日航ミュージックサロン」でオーディションを受けた。腕試しがしたかった。
「とびきりいい声を出そうと思って、ドロップを口いっぱいに入れて出番を待っていたら、意外に早く名前を呼ばれちゃった。
慌ててドロップを一番前のお客さんの灰皿に『スミマセン』と言って口からベーッと吐き出して歌ったら合格。ドロップのおかげじゃないわよ、歌が上手だったのよ!」