平野レミ(ひらの・れみ)/料理愛好家。フランス文学者、平野威馬雄氏の長女として東京に生まれる。東京・お茶の水の文化学院在学中に声楽家の佐藤美子さんからシャンソンを学ぶ。日航ミュージックサロンで歌手デビュー。TBSラジオの番組内で久米宏アナウンサーとの掛け合いが評判に。1972年にイラストレーターの和田誠さんと結婚(2019年に死別)し、育児と主婦業に専念していたが、1980年よりNHK「きょうの料理」に登場。料理愛好家として活躍しはじめる。おなじみ「レミパン」やタオルとエプロンが一体化した「ジップロン」などキッチングッズの開発も行う
平野レミ(ひらの・れみ)/料理愛好家。フランス文学者、平野威馬雄氏の長女として東京に生まれる。東京・お茶の水の文化学院在学中に声楽家の佐藤美子さんからシャンソンを学ぶ。日航ミュージックサロンで歌手デビュー。TBSラジオの番組内で久米宏アナウンサーとの掛け合いが評判に。1972年にイラストレーターの和田誠さんと結婚(2019年に死別)し、育児と主婦業に専念していたが、1980年よりNHK「きょうの料理」に登場。料理愛好家として活躍しはじめる。おなじみ「レミパン」やタオルとエプロンが一体化した「ジップロン」などキッチングッズの開発も行う

「要するに、すっごく無精なのよ! それと『せっかち』。美容院も苦手でね、パーマなんかで長いこと座っているとがまんできなくなるの。で、『打ち合わせがあったんだ! 大変大変!』って、ビチョビチョのまんま途中で帰ってきちゃう」

 レミさんはもともとシャンソン歌手だ。日米のハーフでフランス文学者の平野威馬雄(いまお)さんを父に持ち、早くから音楽に触れていた。家には外国人の来訪も多かった。50年以上前の話である。

「外国人のお客さんがLPレコードを持ってきてくれるのが、うれしかった。レコード盤に針を落とすと、日本の歌とは全然違うメロディーが流れてきて素敵だった」

 誰に言われるでもなく、一人で歌うようになった。

「歌が大好きで。広い庭に柱と屋根だけの東屋(あずまや)や温室があって、大きな声で毎日歌ってた。そのうち父が、『本気で歌をやるなら、習うか?』って言ってくれたの」

 レミさんが歌のレッスンに通いはじめたのは16歳の頃。日本ではじめて歌劇「カルメン」を演じた声楽家、佐藤美子先生の元に連れていかれた。

「先生がね、プロになろうなんて絶対に思っちゃダメですよって私に言うのよ。プロはお金を取るのが商売で、お金はとっても汚らわしいものだから、プロを目指すなって。でもね、先生は私から月謝を取っていたけどね(笑)。おかしいわよね」

 目をくるんと回して「月謝を取っていたけどね」というレミさんに一同爆笑。憎めない。みなから笑顔を引き出す。

 レミさんは「プロ禁止」と先生に言われながらも内緒で、東京・銀座にある「日航ミュージックサロン」でオーディションを受けた。腕試しがしたかった。

「とびきりいい声を出そうと思って、ドロップを口いっぱいに入れて出番を待っていたら、意外に早く名前を呼ばれちゃった。

 慌ててドロップを一番前のお客さんの灰皿に『スミマセン』と言って口からベーッと吐き出して歌ったら合格。ドロップのおかげじゃないわよ、歌が上手だったのよ!」

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ストリップ劇場でデビュー曲が