4月20日より二十四節気は「穀雨」となりました。芽吹いた草木全てに恵みの慈雨が降り注ぐ季節とされ、二十四節気の生まれた中国ではこの時期多雨の傾向があるようですが、日本では丁度ゴールデンウィーク期間となり、安定した天候が多いようです。
この時期まぶしい新緑の春の林床や野原に、さまざまな野の草が花をつけますが、そのひとつにジュウニヒトエがあります。日本でしか見られない固有種ですが、この花、日本版七十二候に二度も登場する植物「乃東」と同定される植物でもあります。

布が幾層にも重なるように見える様を十二単に喩えた可憐な花。日本固有種です
布が幾層にも重なるように見える様を十二単に喩えた可憐な花。日本固有種です
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日本固有種ジュウニヒトエ。今花盛りを迎えています

ジュウニヒトエ(十二単  Ajuga nipponensis)は、シソ科キランソウ属に属する多年草(宿根草)で、本州と四国に分布する日本固有種です。
シソ科の花は、大きさのそろった上唇弁と下唇弁を持つ唇形花冠が一般的な特徴です。たとえばシソの花やオドリコソウの花などを横から見ますと、突き出した唇のように見えます。が、キランソウ属は花冠の上唇弁がごく小さくなり、横から見ても唇形にはなっておらず、下唇弁のみが目立つため、一枚のぴらっとした小さなタグのように見えます。
ジュウニヒトエは、キランソウ属の中でも花が積みあがったタワー状になり、タグ状の花弁が幾重にも重なっている様子を、王朝時代の公家の女性たちの正装である十二単(正式には五衣唐衣裳)に見立ててこの名が付きました。
草丈は、10cm以下であることが多いキランソウ属の中では花穂が高く立ち上がるために大きな株では30cmほどにもなりますが、概ね20cm前後のかわいいサイズの野草です。
草体全体に産毛のような細かな柔毛が覆い、花もうっすらと桃色がかった白(紫やピンクもあり)で、下唇弁に細い紫の線状模様が入っています。
花期は4月はじめ頃から5月前半頃までで、まさに今が最盛期。
前年の真冬の時期に既に芽吹き、小さなロゼット形態で地面に張り付いて冬越しし、早春頃から茎をのばし始めます。
そして、花期が終わり、本格的な夏が訪れる前には早くも葉を枯らして休眠に入ってしまいます。

渋川春海は国風文化の象徴として、ジュウニヒトエをあえて乃東としました
渋川春海は国風文化の象徴として、ジュウニヒトエをあえて乃東としました

ウツボグサには非ず。七十二候謎の「乃東」は何を意味する?

さて、本朝七十二候には、冬至の初候に「乃東生(ないとうしょうず/なつかれくさしょうず)」、夏至の初候に「乃東枯(ないとうかるる/なつかれくさかるる)」という中国版七十二候にはない独自の候が見られます。これは渋川春海による最初の和暦・貞享暦とともに編纂された貞享暦七十二候から採用され、以降の改暦を通して変更されずに残っているものです。
「生ずる」「枯れる」とあるわけですから、植物であることはわかりますが、「乃東」という聞きなれない名称は、日本の古典文学などの中に登場することはありません。
中国最古の薬学書『神農本草経』(後漢時代ごろ)の下品(治療薬)章「夏枯草」の項目に、「一名夕句。一名乃東」と記述されています。つまり、夏枯草=乃東ということなのですが、では夏枯草とは何の植物を指すのでしょうか。
一般的に、夏枯草とはウツボグサ(靫草 空穂草  Prunella vulgaris Linne var. lilacina Nakai)、またはその枯れた花穂の生薬名のことです。ウツボグサはジュウニヒトエと同様にシソ科に属し、全国の人里近くの低山や丘陵の、日当たりのよい草原にしばしば群生します。
花は上唇弁・下唇弁とも発達した唇形弁の濃い紫色の小花を、円筒型の小籠のような形をした花穂から横向きにランダムに咲かせます。それを武士が背負う矢をまとめて収める靫(うつぼ/ゆぎ)から矢羽根が飛び出している様子に見立てて「ウツボグサ」と名付けられました。
夏枯草が乃東の別名ならばと、歳時記などでは「乃東生」「乃東枯」を「ウツボグサの芽が出る」「ウツボグサが枯れる」という意味としてほとんどが説明しています。

ところが、困ったことにウツボグサは冬至の頃にはまったく芽は出しません。花期は6月末頃から8月頃で、花が終わった後の晩夏に、花穂が直立したまま立ち枯れるので、夏至の頃には青々としていて、まったく「枯れる」などとは程遠い状態なのです。つまり、七十二候に設定された時期とはまったく生態が異なるのです。

こちらは夏枯草ことウツボグサ。しかしこの花の枯れるのは晩夏です
こちらは夏枯草ことウツボグサ。しかしこの花の枯れるのは晩夏です

本朝七十二候編纂者・渋川春海が「乃東」に込めた意味

渋川春海の生物の生態把握は的確ですので、このことから乃東はウツボグサを指したものではない可能性が高くなります。
『大和本草』(貝原益軒 1709年)には、「夏枯草」の項目でこのように記載されています。

若水(稲生若水 江戸前・中期の医学者・本草学者)云く葉、金沸草(オグルマソウ)に似て裏に紫條有り。花微(わず)かに紅く空穂草(ウツボグサ)に似、而して長くウツホ草には非ず。ウツホ草は用いて功なしと云う。

貝原益軒は、生薬として出回る夏枯草は、中国大陸に分布するウツボグサの亜種・徐州夏枯草であって、日本に自生するウツボグサとは別物であり、日本のウツボグサには薬効はさほど期待できないとしています。さらに、春木煥光は著書『七十二候鳥獣虫魚草木略解』で、

乃東ハ夏枯草ノ一名ナリ 和名鈔ニウルキト云 今俗ニ十二一重ト呼フ (中略 )種熟スレハ苗枯ル 即チ夏至ノ候ナリ 故ニ夏枯草ノ名アリ 苗枯ルヨリハ直ニ根ヨリ新苗ヲ生ス

と、夏枯草という名前は、夏至の頃に枯れるジュウニヒトエの別名としても使われているとし、七十二候の時期設定からして、ウツボグサではありえず、ジュウニヒトエであるのは明らかだ、と強調しています。

これに対し、若水門下の本草学者・松岡恕庵は、『用薬須知』(1726年)において師匠筋の若水に異議を呈し、古来日本でもウツボグサは生薬として効能が知られて用いられてきており、徐州夏枯草ともさほど変わりはないから、薬として用いるべきであると力説しています。

ただし、この若水・益軒による夏枯草=ジュウニヒトエ説と、恕庵の夏枯草=ウツボグサ説の対立については、あくまで本草学=薬草学としての論争です。
七十二候で登場する「乃東」が果たしてウツボグサなのかジュウニヒトエなのか、という話とは関係がないとは言えませんが区別して考えるべきことです。

そして先述したように、冬至の頃に芽生え、夏至の頃に枯れるという特徴を持つのはまぎれもなくジュウニヒトエで、春になってから芽生え、晩夏に花穂を枯らすウツボグサはまったくあてはまりません。
また、渋川春海が宣明暦七十二候を大幅に書き換えて本朝版を編纂した意図についても考えるべきでしょう。それは、日本の国の季節風土、さらには日本人の感覚にも合致した独自のマンダラを編みだそうと企図したからです。
となると、江戸前期の貞享年間の博物学で、ジュウニヒトエが日本固有種とはわからなかっただろうとはいえ、王朝文化の象徴のひとつでもある十二単という衣装の名を冠する野の草を、春海が特に取り立てただろうことは十分に考えられます。それならいっそ「十二単生/枯」とするほうが混乱はないのでしょうが、江戸期までの日本のインテリ層は、漢民族文明=中原文明を正当に継承しているのは日本文明であるという矜持を持ってもいました。ですから、もっとも古く権威のある本草学に名のある「乃東」の名を、日本独自の文化である十二単と重ね、しかもそれを二十四節気の基点ともなる冬至と、その対になる夏至のそれぞれの初候という重要な候にあてはめる、という仕掛けをほどこしたわけです。
このように考えますと、日本版七十二候で「鴻鴈」(ハクチョウとガン)「玄鳥」(ツバメ)とともに、「乃東」が二度登場するほど重要視されていることの説明がつくのです。

今しも花盛りにあるジュウニヒトエ。この花を見られるのは日本列島に暮らす私たちのみです。独特のしとやかで印象的な花姿を探しに、野山に散策に出てみてはいかがでしょうか。

ジュウニヒトエと近縁のキランソウ。やはり今の時期に林の縁などに見られます
ジュウニヒトエと近縁のキランソウ。やはり今の時期に林の縁などに見られます

(参考・参照)
健康づくりに効果も抜群の身近な薬草 婦人生活社
植物の世界 朝日新聞社
大和本草. 巻6 - 国立国会図書館デジタルコレクション

新緑の木漏れ日の下で銀白色に輝くジュウニヒトエを是非探してみて
新緑の木漏れ日の下で銀白色に輝くジュウニヒトエを是非探してみて