もちろん一つずつオリンピックに意味付けをしてしまうと、オリンピックってものに対して全部意味付けしちゃうと、ほんとに長くなっちゃうんですけれども、僕にとっては自分が生きている証っていうか。そしてみなさんとともに歩み続けた、頑張った証でもありますし、これから頑張っていくための土台でもあるかなって思ってます。
――競技会には出ないという決断と捉えてよろしいでしょうか? その決断に至った経緯、揺れ動いたりしたのかもふくめて聞かせてください。
はい、ありがとうございます。まず最初に、これから競技会っていうものに出るつもりはないです。僕がこれまでやってきたなかで、もう競技会に対して、結果っていうことに対して、とるべきものはとれたなっていうふうに思ってますし、そこに対する評価を求めなくなってしまったのかなっていう気持ちもあります。それがここまでいたった経緯です。
そして、自分が揺れ動いたりとかっていうのははもちろんあったんですけど、そもそも平昌オリンピックの時点でもう引退しようと思っていて、引退っていう言葉があんまり好きじゃないんで使いたくないんですけど。
僕が16歳だったり17歳ぐらいのインタビューで、「2連覇したらどうするんですか?」って言われたときに、いやそこからがスタートですってほんとに自分の心の中から言える時期があって。今ほんとにそういう気持ちでいます。
なんか、自分のなかでは平昌オリンピックから、そこからプロのスケーターとして、プロのアスリートとしてスタートするんだっていうふうに思ってたんですけれども、まあ4回転半だったりとか四大陸選手権もふくめて金メダルとれてない試合が何個かあったので、それを取りたいと思って続けました。
結果として、4回転半にこだわり続けた結果、まあ北京オリンピックっていうところまで続いたんですけれども、今の自分の考えとしては、別に競技会でおりなくてもいいじゃんって思ってしまっています。これからさらに自分が努力したい方向だったりとか自分が理想としているフィギュアスケートっていう形だったりとか、そういったものを追い求めるのは競技会じゃなくてもできるなって。むしろ競技会じゃないところのほうがみなさんに見て頂けるんじゃないかなっていうふうに思ってこういう決断をしました。これから4回転半もふくめて、アスリートらしく頑張っていきたいなと思います。