7月11日、安倍晋三元首相が銃撃された現場近くの献花台を訪れた人々/撮影・朝日新聞社
7月11日、安倍晋三元首相が銃撃された現場近くの献花台を訪れた人々/撮影・朝日新聞社

■政治的動機見えてこない

 哲学者・久野収や政治学者・橋川文三が指摘したように、1921年に朝日平吾が安田財閥の安田善次郎を暗殺したときから、超国家主義という新たな思想が台頭しました。それまでにも政治家や要人の暗殺事件はありましたが、この事件は安田のような財閥の巨頭を天皇と臣民の間に介在する「君側の奸」と見なして強制的に排除し、「君民一体」の「国体」を確立させるという政治的な動機に基づいていた点で、それまでにないものでした。これ以降、いま述べた血盟団事件や五・一五事件を経て二・二六事件に至るまで、超国家主義に基づくテロやクーデター未遂事件が頻発することになります。

 しかし、今回の事件は、「犯人」の政治的動機が見えてこない。表面的な類似性にのみ注目して、昭和初期と似たような時代になっていると解釈するのは間違っています。それは1921年以降の暗殺事件を明治時代の暗殺事件の延長線上にとらえることができないのと同じです。むしろ全く新たな事件とみるべきでしょう。

■「権力の中心」ではなかった

 殺害現場の違いもあります。大正から昭和初期にかけて首相や元首相が狙われた事件の現場となったのは、総理官邸や私邸といった「権力の館」か、大正初期に天皇の権威を演出するために建てられた東京駅のような空間でした。それらはすべて、権力の中心である東京で起こっています。

 では、今回の現場はどうか。

 今回の事件は東京で起こっていません。奈良市の郊外にある近鉄の大和西大寺という駅前で起こった。まずこの点が全く違います。

 現場の映像を見ていて気づいたのは、あの周辺に「大和西大寺駅北口駅前広場」という看板が複数立っていたことでした。私はそれに違和感をもちました。あの現場のいったいどこが「広場」なのでしょう。駅前にあるバスロータリーから車道を経て、ガードレールに囲まれた島のような場所でしかない。周囲は車が行き来していて、背後から不審人物が来ることよりも、車の往来が気になってしまうような場所です。

■あの日の「広場」の違和感

 あの日、安倍元首相は飛行機で関西入りし、車で奈良へ。終了後は京都に行く予定だったといいます。長時間、滞在する予定ではなかったことから選ばれた場所なのかもしれませんが、聴衆は車道を隔てた歩道から演説を聞くことしかできず、安倍元首相と対話することははじめから想定されていません。元首相はいわば「人寄せパンダ」の役割しか果たしていないのです。「広場」から連想されるような、車の往来がなく、人々が集まって自由に対話できる公共空間とはずいぶん違います。

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平城京は政治空間の原点だった