間宮:いちおう見ましたけど、今回の作品と重ならないように、撮影中は見ないようにしていました。
林:でも、島崎藤村の原作って、読んでもそんなにおもしろくなかったんじゃないですか?(笑)
間宮:いやいや、そんなことないですよ(笑)。
林:明治文学における青年の会話って、とにかく理屈っぽくて、議論が延々と続くでしょう。あれを自分の言葉で発するだけでも大変だったろうなと思いましたけど。
間宮:それは意識しました。当時の会話の中での言葉の美しさとか気品とかが、自分がしゃべることで失われないように考えながら演じてましたね。
林:友達同士の会話でも、「おまえ」じゃなくて「きみ」とか言って、文語体みたいな会話が延々と続きますよね。それをいま映像化するためには、そこに現代的な魅力も与えなきゃいけないわけですけど、今回の映画、非常にオーソドックスにつくってあって、あえて現代に寄せてないのが意外でした。
間宮:監督(前田和男)が考えてる部分でもあるんですけど、この映画で描かれていることは、すごく普遍的なことなので、いまふうにアレンジしなくても、物語の強度が伝わるんじゃないかと思ってます。
林:私が若いころ、被差別部落を舞台にした『橋のない川』(住井すゑ)という本がベストセラーになって、後に映画化されたのを私も見ましたけど、間宮さんのファンの若い人たち、この映画を見て、「テロリストでもないのに、なんで石を投げられたり差別されたりするのか、ぜんぜんわかんない」って思う人、多いんじゃないかと思う。後半、それが少しずつ腑に落ちてくると思いますけど。
間宮:部落差別に関しては、いまの世代は、想像しづらい部分もあるかもしれないですね。でも、いまの世の中にも差別はありますよね。2年ぐらい前、ある地域で話を聞いてたら、その地域で最初に新型コロナウイルスの陽性になった人に対する周りの圧がすごく強かったみたいなんです。だから、そういった現代にも漂っているいろんな差別と結びつけられる作品なんじゃないかと思ってます。