インタビューに応じたNON STYLE(撮影・中西正男)
インタビューに応じたNON STYLE(撮影・中西正男)

その状況で、09年は「キングオブコント」も出る。優勝はしたけどもう一回「M-1」も出ようという話になっていたので、そのネタ作りもしないといけない。もうパンパンになってしまって。久しくやめていた安定剤と抗うつ剤をまた服用するようになっていました。

井上:このままじゃダメだと思って、さらに強めにキャラを作りにかかりました。投げキッスくらい振り切ったことをやろうとしたのが09年でもありました。

 それと発想を根本から変えたという部分もありましたね。大阪ではどちらかというと、街の一般の方が“食材”で芸人がそれを美味しく調理する“料理人”というイメージだったんですけど、こっちが食材になろうと。オレも料理人になりたい人間でしたけど、自分が食材になって、周りの芸人さんに調理してもらう。そうなれば笑いはまわる。こちらがしゃべらずとも笑いは生まれる。料理人から食材になることに徹しようと。

石田:その流れで井上がキャラ立ちしてくれたおかげで、僕は井上が何かした時に添える“返し”を持っておけば最低限は成立するようになったんです。ただ、これもね、どれだけ考え抜いた言葉を言ったとしても、結局、それが現場での“説明書”になるんですよね。

「井上がこういうことをした時には、このワードを言えばウケる」。そういう説明書を僕が提示するだけで、あとはアイドルの人が井上の発言に対して説明書に則って「キモい!」とか言ったら、そちらの方がウケるわけです。そして、放送ではそちらが使われる。相方である僕の言葉よりも、アイドルの人が言った「キモい!」の方が立場としてのフリがきいている分、面白いですから。

 結局3年くらい、僕は現場で説明書の役割しかしてませんでした。自分の努力不足でもあると思うんですけど、ずっと「向いてないな」と思いながらやっていました。その感覚は今でも変わってないので、なんら克服はしてないし「僕よりもっと適役がいる」と思いながら、今も番組に出してもらっています。

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