写真家・高橋宣之さんの作品展「神々の水系」が東京・品川のキヤノンギャラリー Sで開催されている。高橋さんに聞いた。
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高橋さんは不思議な人だ。
1947(昭和22)年生まれの73歳。しかし、風景や写真についてひたむきに語る姿は少年のようだ。
もう30年以上、高知市内の自宅から通える範囲の風景だけを撮り続けてきた。
主な撮影エリアは仁淀川流域。「日本一の清流」として知られる四万十川と並ぶ、高知県を代表する川だ。
2012年に放映されたNHKスペシャル「仁淀川 青の神秘」では、高橋さんが撮り続けてきた作品世界を映し出した。高橋さんは仁淀川の美しさを表現する「仁淀ブルー」という言葉の名づけ親でもある。
半世紀前、土佐湾に打ち寄せる太平洋の波の魅力に取りつかれ、その後は仁淀川をさかのぼるように写してきた。仲のよいカメラ誌の元編集長からは「鮭」と呼ばれた。
■自衛隊員から写真家へ
以前、高橋さんの撮影現場を取材した際、忘れられない思い出がある。
仁淀川の源流域の森の中で撮影しているときだった。かすかにジェット機の音が聞こえてきた。そのとき、高橋さんはあまりにも意外なことをつぶやいたのだ。
「戦闘機が編隊飛行をしていますね」
「音だけでわかるんですか?」
「ええ」
聞くと、高橋さんは少年時代、空にあこがれ、高校卒業後は航空自衛隊に入隊。配属されたのは九州北部にある迎撃ミサイル部隊だった。
1968年に北朝鮮が米海軍の情報収集船を拿捕したプエブロ号事件当時のことは鮮明に覚えているという。
「防衛レベルが一気に引き上げられた。そんなとき、レーダーに大きく光る機影が現れて日本海をどんどん南下してきた。旧ソ連の爆撃機。それはもう大変な緊張感でした」
アメリカ製のミサイルのマニュアルはすべて英語で書かれ、一度任務に就くと、終了まで会話もすべて英語だった。
実射訓練ではアメリカを訪れた。広大なミサイル演習場はメキシコ国境の近くにあり、休暇日には国境を越え、オフを楽しんだ。それをきっかけに学んだスペイン語が後々に役立つ。