撮影:田代一倫
撮影:田代一倫

 写真展のもう一つのテーマである「東京」で、最初に写したのはアルバイト先の警備員仲間だった。

「東北にはお金をいろいろ借金して行ったんです。最初は車とかに泊まっていたんですけれど、やっぱり、地元にお金を落とすべきなのかな、と思って、ビジネスホテルや民宿に泊まるようになったんです。そうしたら、経済的に身動きがとれなくなってしまって、警備員のバイトをするようになったんです」

 東北とは違い、東京では「できる範囲で撮影した」。警備員をはじめ、先に書いた福祉関係など、アルバイトの機会を利用して面白そうな場所を見つけたり、集合前の時間を利用してポートレート写真を写した。

 ただ、最初の動機はともかく、必死に写した東北と比べると、東京での撮影に対する思いは複雑というか、屈折したものを感じざるを得なかった。

「人を撮ることに関しては、そんなにぼくの中では変化はない」と言うものの、「もともと、ぼくは東京が好きじゃなくて。嫌いだな、と思いつつ、いろいろ仕事のオファーをいただいたから、ずっと東京を撮ってきたんです」。

撮影:田代一倫
撮影:田代一倫

撮影することが自分の生活とは切り離せなくなっていた

「東京のさまざまなことを含めながら、東北のことも考えて撮影を続けてきた」とも言う。

 それは具体的にどういうことなのか、たずねると、「『復興五輪』と名付けられて進んできたオリンピックに向けて」のことだと説明する。

 しかし、東京オリンピックそのものには反対の立場だと言い、「オリンピックのために撮っているようなかたちになったら、いやだなと」、本来であれば開会式前日の昨年7月23日に今回の作品の撮影を終えている。

 どうも、すっきりしない。東京を撮った明確な理由が見えてこない。

「たぶん、復興五輪とは別の感じで撮り続けていた、というのもありますね」

 もう、撮影することが自分の生活とは切り離せなくなっていたという。

「撮っておけば、ちょっと気持ちが安定するというような感じで歩いています。写真を撮らないと、自分はどうなんだろうと、思っちゃうんですよ」

 心の声を聞いたような気がした。結局のところ田代さんは、東北でも、東京でも、撮影という行為によって自分の心を支えてきたような気がする。それが本当の撮影の理由ではないだろうか。

                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】田代一倫写真展「2011-2020 三陸、福島/東京」
コミュニケーションギャラリー ふげん社 3月4日~3月28日