斎藤環は「ひきこもり」専門の精神科医。與那覇潤は「うつ」を体験した歴史学者。今年の小林秀雄賞を受賞した『心を病んだらいけないの?』は、このふたりの対談である。医師と患者の対話に見えるけど、副題は「うつ病社会の処方箋」。社会の病理を再検討する趣もあり、いろいろ考えさせられる。
「アダルト・チルドレン」や「毒親」などの概念は「私は被害者だ」と考える人を増やしたが、するとその反動で「自分は被害者だなんて言わない」ことに強さの証明を求める言説が出てくる。論壇では「右傾化」が議論されたが、最新の右傾化のモードは<「生きづらさ言説へのバックラッシュ」だと思います。要はそんなことを言ってるやつらは甘えだ、被害者面をするな、という主張ですね>(與那覇)。杉田水脈はその一例だ、と。
平成を通じて流布された幻想のひとつは「趣味を仕事に」という価値観だった。テレビ番組の「情熱大陸」しかり「プロジェクトX 挑戦者たち」しかり。結果として<「趣味を仕事にできない私は負け組だ」と思い込む人が増えたのではないでしょうか>(與那覇)。みんなが「あきらめられない」のは無限の可能性を煽る学校教育にも原因があった。戦後民主主義教育は<「君たちは何にでもなれる!だから夢を捨てるな」と強調し、そうしたあきらめを禁圧する性格があった>(斎藤)。
だけど人間、どこかであきらめないと生きていけない。そのための装置が「なんちゃって脳科学」や「発達障害」だったのではないか。「自分はどうせ発達障害だから」と<自らの成長に見切りをつけてしまう>(斎藤)。コミュニケーションが苦手なだけでも<すぐ「それって発達障害?」というラベルを貼られがちです>(與那覇)。
身に覚えある人が多いんじゃないだろうか。<心の病気に、「よい医者」はいません>(與那覇)。必要なのは対話だと。俗流心理学にすぐ流される私たちへの警告と受け取りました。
※週刊朝日 2020年12月4日号