1943年2月11日に菱谷さんが描いた「赤い帽子の自画像」(撮影:高橋健太郎 以下同)
1943年2月11日に菱谷さんが描いた「赤い帽子の自画像」(撮影:高橋健太郎 以下同)
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 写真家・高橋健太郎さんが写真集『A RED HAT』(赤々舎)を出版した。この本は2017年に施行された改正組織犯罪処罰法をきっかけに知った「生活図画事件」(詳しくは後述)の当事者を追った異色の写真集である。

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写真を生業とする自分も無関係ではいられない

「最初、彼らに取材したとき、『写真を撮ってどうするの?』と聞かれたんです。『いずれは写真集に』と言うと、『写真集になるわけがないじゃない』と返ってきた。実を言うと、写真集にできるか、ぼくも半信半疑だったんです。でも、自分で言うのもおこがましいんですが、いまの社会に密接したすごくいい取材ができたと思います。だからこそ、いまの世の中に出したい」(高橋さん、以下同)

 冒頭の改正組織犯罪処罰法では、犯罪の計画段階で処罰を可能とする「共謀罪」の要件を改めた「テロ等準備罪」が新設された。恣意的な運用に対する明確な歯止めがなければ「テロ防止」の名のもとに市民への監視が強まるのではないか? 戦前、戦中に思想犯らを取り締まった治安維持法の復活ではないか? そんな疑念が持たれた。

 そのなか、金田勝年法務大臣(当時)は国会でこう発言した。「計画された犯罪の遂行上意味のある場所の写真を撮ったりしながら歩くなどの外形的な事情が認められる場合には、実行準備行為と認定できることとなろう」(外形的な事情とは、いったい何なのだろう)。これを聞いた高橋さんは、写真をなりわいとする自分も無関係ではいられないと感じた。

真珠湾攻撃の3カ月前に逮捕された2人が生きていた

 1925年に制定された治安維持法は当初、共産主義者や無政府主義者を対象にしていたが、やがて戦争に異を唱える人や自由主義者らに適用を拡大していった。

 3年前まで治安維持法について「教科書レベルの知識しかなかった」という高橋さん。インターネットで検索すると45年に同法が廃止されるまでに数十万人が逮捕されたことを知った。『蟹工船』で知られる作家・小林多喜二ら、少なくとも400人強が獄死している。

「昔の法律だし、もう当事者はいないだろうな」と思いつつ、さらに検索すると、北海道・旭川で絵を描いただけで学生たちが逮捕された「生活図画事件」の記事を見つけた。写真と絵画。その表現のつながりに親しみを感じた。しかも、当事者の2人が存命という。もう残された時間はあまりない。そう思うと、すぐさま北海道へ飛んだ。

 旭川は古くから軍都として栄えた街である。かつては北海道の開拓と防衛を担った屯田兵を母体する第7師団が駐屯していた。

 駐屯地のすぐ近くには旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)があった。同校の美術部員だった菱谷良一さんと松本五郎さんが治安維持法違反で逮捕されたのは太平洋戦争が始まる直前、41年9月のことだった。これがいわゆる「生活図画事件」である。

「開拓の村」にてスケッチ中の菱谷さん
「開拓の村」にてスケッチ中の菱谷さん

「ベートーベンはヨーロッパの音楽だから共産思想につながる」

 菱谷さんと松本さんは「生活」という視点で身のまわりの出来事を観察し、描いていた。

 逮捕のきっかけとなった絵は押収され、戻ることはなかったが、それを複写したモノクロ写真がいまも残されている(写真集にも資料として掲載)。それはどんな内容だったのか。

 菱谷さんの「話し合う人々」を凝視する。2人の学生が向き合って座り、何やら議論している様子が描かれている。手元にある本は見開かれ、その文章を手前の若者が指さしている。

「取り調べでは『この本はなんだ! 資本論だろう。共産主義思想の話をしているんだろう』と、勝手に決めつけられたんです」と、高橋さんは説明する。

 松本さんが描いた「レコード鑑賞」を見ると、若者たちが蓄音機を囲み、音楽に耳を傾けている。

 これについては、「お前らはベートーベンを聞いているんだろう。それはヨーロッパの音楽だから共産思想につながる」と、ひどく強引な解釈がなされた。

 いま聞けば笑ってしまうような、まったく荒唐無稽なつくり話である。要するにでっち上げである。実際に本人が何を考えて描いたかはどうでもよかったのだ。筋書きどおりに有罪が言い渡され、旭川刑務所に送られた。42年12月に仮釈放されたものの、その後も官憲の監視下に置かれ、「非国民」として生きねばならなかった。周囲の目はどれほど彼らを突き刺したろう。

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