東北一のイチゴの産地・宮城県山元町にて「ミガキイチゴ」を生産しているハウスが「ICHIGO WORLD」。イチゴ狩り体験もできる
東北一のイチゴの産地・宮城県山元町にて「ミガキイチゴ」を生産しているハウスが「ICHIGO WORLD」。イチゴ狩り体験もできる

■コンパクトシティ化が避けられない中での小規模市町村の生き残り方

「震災前の山元町は漁師町であり、また海沿いの砂地でイチゴを生産していたため、人口の大部分が海沿いに住んでいました。震災後は津波の直撃を受けた地域は居住禁止となり、農地などに区画整理されて人々は4つの新市街地に集中して住むようになりました。地区ごとに大型スーパーもでき、震災前より利便性は高まったかもしれません」(岩佐氏、以下同)

 震災前は129件あったイチゴ農家は約半数が復活。70代、80代の農家は引退したが、震災当時50~60代で跡継ぎがいるという場合はおおむね農業に復帰した。

 ただし、山元町には高校がなく、震災後しばらく鉄道が復旧しないなど交通面で問題があったことなどから子育て世代の家庭を中心に人口の約25%程度が流出。

「山元町の生き残り方は2つ。ひとつは津波でできた大規模農地を活かして生産性の高い農業をすること。もうひとつは仙台や郡山など近場の都市圏で働く人たちのベッドタウンとして教育や福祉を充実させていくことです」

 日本全国でもともと少子高齢化、都市部への人口流出は進行していたが、東北沿岸部は震災によってそれが急激に加速した。その流れを大きくは変えられないだろう、と岩佐氏は見る。

山元町では震災後に農地の区画整理が行われ、大規模農場が次々にできた。津波で被害を受けた鉄道は高架式になって復旧した
山元町では震災後に農地の区画整理が行われ、大規模農場が次々にできた。津波で被害を受けた鉄道は高架式になって復旧した

「仙台、郡山クラスの都市なら若い人が定着しやすいですが、山元町のような本当の田舎、山間地域の人口増はどうがんばっても厳しい。行政の維持コストを考えてもある程度の人口集中、コンパクトシティ化は仕方ありません。ですから『町全体としてうまくいく』というより『その地域で輝く面白い人・集団がいて、仕事(雇用)がある』、そこにさらに人が集まるのを目指すのが、復興や地方創生の現実解じゃないかと」

 山元町から近い仙台・秋保温泉では「秋保ワイナリー」が2015年に始まり、石巻では「2021年までに石巻から1000人のIT技術者を育成する」ことを掲げる若者向けプログラミングスクール「イトナブ」や、古民家をリノベーションする「巻組」による不動産事業が盛り上がっている。

「今の時代、ハコモノや下請け工場の誘致では人は呼べません。その土地その土地に面白い人がいるという“ヒト軸”での吸引力が重要です。経営者だけでなく地方自治体の首長のリーダーシップも大事で、たとえば女川町の須田善明町長はリアル『シム・シティ』をやる! と言って理想的な町、綺麗な商店街づくりを断行し、今若い人がたくさん働いています。僕も『山元町・岩佐・ミガキイチゴ』でもっと人が集まってくるようにがんばらないと」

次のページ
“被災地で作られたイチゴ”ではなく、まず“おいしそうなイチゴ”