BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2020」ノミネート全10作の紹介。今回、取り上げるのは砥上裕將(とがみ・ひろまさ)著『線は、僕を描く』です。
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 本書は講談社の「第59回 メフィスト賞」受賞作。両親を交通事故で亡くし、自らも生きる意味を失った大学生が、水墨画との出会いを通して自分を取り戻す成長の物語です。
 大学生の青山霜助(そうすけ)は、展示場のパネル運びのバイト後に、会場で"ある老人"と出会います。チャーミングなあごひげと柔和な表情から「びっくりするくらい親しみやすい」その老人に控室へ通され、なぜか弁当をごちそうされ、箸の持ち方まで褒められるのでした。
 老人は会場内を案内し、次々と霜助に水墨画の感想を求めます。中でも霜助が驚いたのは「真っ黒なはずなのに花が真っ赤に見える」バラの絵でした。霜助が熱心にそのバラについて評すると、老人は不意に「弟子入り」を持ちかけます。実は老人の正体は、水墨画家で大物芸術家の篠田湖山(しのだ・こざん)というから驚きです。こうして絵筆を握ったことがない"ド素人"大学生が、水墨画の世界へ飛び込むことになります。
 本書では湖山先生から水墨画の解説やその神髄が語られるのも魅力の一つです。例えば、霜助が初めて墨をするシーン。思案しながらまじめにすった墨と、何も考えず力を抜いた墨では、絵の"きらめき"が違ったというエピソードが展開されます。湖山先生は言います。
「粒子だよ。墨の粒子が違うんだ。君の心や気分が墨に反映されているんだ。(中略)自分独りで何かを心を閉ざしている。その強張りや硬さが、所作に現れている」(本書より)
 湖山先生は霜助のまじめさについても「悪くないけれど、少なくとも自然じゃない」と指摘。水墨とは神羅万象(しんらばんしょう)を描き出そうとする試みであり、絵師が「自然というものを理解しなくて、どうやって絵を描けるだろう?」と投げかけます。これを機に霜助は戸惑いながらも、水墨画に魅了されていきます。
 脇を固める個性的なキャラクターも見逃せません。湖山門下の代表的な絵師で、ガテン系のお兄さんのような少し軽い雰囲気を漂わす西濱湖峰(こほう)、同じく湖山賞を最年少受賞した芥川龍之介似の美男子の斉藤湖栖(こせい)。さらに、自称"親友"を名乗る大学の同級生の古前(こまえ)、同じゼミのしっかり者女子の川岸との交流もユニーク。
 特筆すべきは、この物語のカギを握る存在で、近寄りがたい黒髪美女の千瑛(ちあき)。湖山先生の孫である彼女は、霜助の弟子入りが気に入らず、湖山賞の受賞をかけて勝負を仕かけてきます。ライバル同士(?)切磋琢磨していく2人の姿と距離感の変化に注目です。
 水墨画が文章から目に浮かぶような表現、そして閉ざされた霜助の心が、線を描くごとに少しずつ開かれる描写は、著者が現役の水墨画家ならではの魅力。多くの読者を物語に惹きつけることでしょう。読後は改めてタイトル『線は、僕を描く』が心に響くはずです。